駆け込み乗車と孤独とのつきあい方 佐々木典士

地下鉄の階段を降りる途中で、電車が次の駅へと向かう準備をする。 その気配に気づいて、その電車に乗り込むべく歩調をできるだけ早める。 予定の時間がギリギリだったとき。僕も喜んでそうする。 そうではない時。 どうしてだろう、目的の駅に着く時間には余裕があって、駆け込む必要はない。

 

たぶん、次の電車が来るまでの5分か10分、その余白が怖いのだ。

駅のホームでつきつけられた唐突の余白。 その時間はちゃんと「待って」「何もしなくても」「ぼんやり」していても、つまり自分の思いと向き合っていていいはずだ。

 

ようやく乗った電車。向い座席の半分以上の人が、スマホをいじっている。
寂れきった居酒屋のカウンターにひとり座る。 同じくひとりの隣の男はイヤフォンで音楽を聞く。 もう片方の隣のひとりの男はガラケーでLINEを追いかける。

 

「孤独」は人類が始まって以来の難題だと思う。 しかしどうして、僕たちはこれほど 「孤独」と付き合うのが下手になってしまったのか。

「孤独」だと他人に思われるのが嫌になってしまったのか。

 

ミニマリズムのひとつの帰結は、他人の思惑ではなく、 「自己に徹する」ことだと僕は思っている。

 

自己に徹すること。孤独だと自分が感じるかもしれない、 孤独だと、他人から思われるかもしれない、ありかたで。

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この記事を書いた人

作家/編集者。1979年生まれ。香川県出身。『BOMB!』、『STUDIO VOICE』、写真集&書籍編集者を経てフリーに。ミニマリスト本『ぼくたちに、もうモノは必要ない。』は25カ国語に翻訳。習慣本『ぼくたちは習慣で、できている。』(ワニブックス刊)は12ヶ国語へ翻訳。