ヌーディストビーチ。          沼畑直樹

ヌーディストビーチ。          沼畑直樹

一人テント泊をすると、まわりに人工物がないミニマリズム的瞬間を味わえるが、同じような状況は至るところに存在する。

それは自然の中で、建物などがまわりにない場所に佇む場合。

山、宇宙、海、川とあるが、もっとも解放されるのは、やはり海だろう。

海は、最後の人工物である、服を脱ぐ。

だから、海水浴は当然気持ちが良い。が、私は沖縄の久米島にいたころ、よく「はてのはま」という砂浜だけの島にいった。

船でいくと、船着き場近くのビーチには観光客が数十人いるのだが、砂浜の山を超えて反対側にいくと誰も居ないので、そこで裸になって泳いだりしていた。

誰も知らない、一人だけのヌーディストビーチである。

それから20年後、私はクロアチアで、本物のヌーディストビーチに上陸した。

 

 

実は、6月のクロアチアの旅では、多くのヌーディストに出会った。

Vis島というアドリア海の小さな島では、私のまわりを上半身裸の40代の女性が海中日光浴していた。

聞くと、わざわざスロベニアから来たという。

クロアチアは、ヌーディストビーチのメッカなのだ。

 

私はその事実を知らずにビーチに行った。

去年にも訪れたが、まだ寒い季節で泳ぐ人がいなかった。

今回は夏のはじめで、多くの人が日光浴、海水浴を楽しんでいた。

水着を持ってくればよかった…と思った。

私は半ズボンだったので、足だけ海に入った。それでも十分楽しかった。

 

翌日、Vis島から船でさらに小さい島に行き、小さなプライベートビーチで泳いだ。

すると、一緒に上陸した若い女性たち5、6人が、ビーチに場所をとるやいなや、すぐに脱ぎだした。

他にも、イタリアから来た女性たちが素っ裸で私のまわりを泳いでいた。

おそらく70代よりも上の女性もいて、幸せそうに海に浮かんで、目が合うと微笑んでくる。

私はどうしても海に入りたかったので、Tシャツとトランクスで入っていて、「なんでこの男はTシャツを着ているのだろう」と思っていたかもしれない。

 

しかし、その美しいイタリアの女性たちは、たとえ目の前にいる相手が服を着ていても、一向に気にしない。

ビーチにいる人すべてが裸であるかどうかなんてことも、彼女たちは気にしないのだ。

話を聞くと、「健康のため」だという。

塩分のある海水に体を浸し、日光浴をする。

それが健康のもと。

私には精神的な意味があるのではないかと思ったが、そこまでは聞けなかった。

 

 

ところで、その風景は日本人から考えるとやはり受け入れにくい風景かもしれない。

だが、実際に現地で遭遇すると、あくまでこれは自然な風景だった。

むしろ、服を着ている自分が恥ずかしくなったくらいだ。

場所によっては、上陸後すぐに裸にさせられる島も、アドリア海にはあるという。

 

どうして裸になるのか。

馬鹿じゃないかと思う人もいるかもしれない。

だけども、海で裸になり、海中をただぷかぷかと漂うあの気持ちよさは、私はわかる。

生命の源のような水に囲まれて、生まれたままの姿になる。

もし、またまわりに誰も居ないビーチに一人で行けたなら、まよわず裸になる。

 

しかし、日本ではヌーディストビーチは誕生しないだろう。

やはり何か感覚が違う。やはり反対意見が多いだろうし、変な意味で捉えられるのは仕方が無い。やはり世の中には、変に利用する人がいる。

いや、わからない。正直わからない。

みんなはどう考えているのか。わからない。

ヌーディストは、ナチュラリストも呼ばれる。

ナチュラリストとミニマリストは、どこかで繋がっているのではないかと、思う。

だから真面目にナチュラリスト、ヌーディストについて語ってもみたいが、「変な捉え方をする人もいる」と私たちは考え、躊躇してしまうだろう。

実際、この「ヌーディストビーチ。」という記事自体、どう捉えられてしまうのか、不安だ。

あと、私はまだヌーディスト、ナチュラリストについてあまり知らない。

よく調べていないし、考えていない。

でも、知りたいと思っている。

 

 

一方、日本の場合は、自然の中で裸になる普通の方法がある。温泉だ。

温泉だと、日本人はとたんに裸を受け入れる。

 

私は月に数回、近所の温泉にいく。

そこには露天があり、空を見ながら湯に浸かることができる。

都会ながらも、森の中の湯に入っている感覚で本当に清々しい。

元々やっていたことではなく、ミニマリズムを考えるようになって、露天に入るようになった。

そんな露天体験のなか、ある出来事が起こった。

 

先週の金曜日だ。

午前中から晴天の下、露天で浸かっていると、雨が降ってきた。

突然の大雨に、数人が中に入る。

私も中に入ろうと、雨の下をくぐった。

ぴたぴた。

暖まった体に、冷たい雨が気持ちよかった。

最初は、「雨から逃げよう」という気持ちがあって、背中をまるめている。

でも、気持ちを切り替えた。

これは、気持ちがいい。

そのまま立ち止まって、空を見上げて雨を浴びてみた。

濡れて困るものは、何も身につけていない。

ざーっ。

 

 

すると、残っていた数名も、そろそろと雨の下にやってきて、雨を浴びた。

変な光景だ。

無言で男性たちが、素っ裸で雨を浴びている。

一人は老人、一人は40代。

でも、心は童心。雨を思いっきり浴びるなんて、本当に何年ぶりだろう。

 

雨を浴びながら、思い浮かんだのは、小学校の校庭。

校庭に雨がたまり、道路側に滝のように流れ出すのを見るのが好きだった。

本当に、今まで思い出しもしなかったことだったが、ふとフラッシュバックした。

次に、体を濡らしながら、車に乗り込んだサーフィンをしていたころ。

毎日のように海に入っていたから、毎日体を濡らして、リセットしていたのではないか。

今では、濡らしてはいけないいけないと考えて、雨の日はポンチョを使っている。

自分を守るのも、たいがいにしたほうがいい。

 

 

Author Profile

沼畑 直樹
Numahata Naoki
最小限主義者 既婚ミニマリスト 
著作 『最小限主義。』(韓国版2017年5月発売)、写真集『ジヴェリ』『パールロード』他(Rem York Maash Haas名義)。旅ガイド『スロウリィクロアチア』


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