久米島の海の上も、何も無かった。  沼畑直樹

久米島の海の上も、何も無かった。  沼畑直樹

沖縄は水辺だらけで、リゾート感はやはり日本で一番だ。 暮らしているとディープな方に引っ張られるので、リゾート感はなくなる(本当の場合)が、観光では素晴らしい。

 

最近、よく考えている「水辺で何もしない時間」だが、これはまさに沖縄で実現できることだ。

 

そして、自分は若い頃経験している(最近気づいた)。 「捨てる」「何もしない」は、そのころ存分にやっていた。   沖縄に行った理由は、夢を捨てたからだ。 高校から美大目指してデッサンばかりしていたが、受験直前に「大学という夢」を捨てた。 絵ばかり書いて、日々「体感」のない生活に焦りを感じたのが理由だった。

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当時のデッサン。もやもやしている。

 

雑誌『スタジオボイス』で特集されていた、ジャック・マイヨールや、バイカーたちの話。 特に、バイクに乗って大陸を横断するバイカーたちの強烈な体験談は、酷く魅力的だった。 なぜかというと、2つの要因がある。

 

一つは、バイクが好きだったから。 高校に入り、すぐに免許を取り、MTXという50ccながら大きなモトクロスバイクを買った。 週末になると、一人で北海道の山奥まで入り込み、テントで夜を明かした。   北海道のまっすぐな道をひたすら走る爽快感。 バイカーの素晴らしさを、知らないわけではなかったのだ。

 

二つ目は、ジャック・ケルアック。 詩を書いていたこともあり、ビート・ジェネレーションに憧れ、彼らが行った北米大陸横断(車だけど)に共感していた。

 

美大受験が本格化し、「表現」という逆のことに没頭した日々を送っていると、そんな体験は二度とできないかもしれないと考えてしまう。 今思うと長い人生でそんなことはないのだが、4年間も絵の勉強をするのは嫌だと思った。

 

そして、絵も詩も止めたくなった。

 

バックパック一つ、全国に散らばる友人の家を転々とした。 最初はバイクで。次に、沖縄まで行くことを想定して、バイクを実家に置いて出発。

 

沖縄というのは、素潜りがしたかったからだ。   スタジオボイスの、ジャック・マイヨールの海の話。 ガイア・シンフォニーの特集だったが、それがまた強烈だった。 自分は北海道なので真っ黒な海しか知らないし、潜ったことはない。

 

親は海育ちなのに、自分は泳げないし、海が嫌いだった。が、沖縄なら違うと考えた。   旅先で出会う新しい友人が、次の旅先を紹介してくれた。 沖縄に向けて南下していく。 鹿児島の下甑島に、友人のおじいさんを訪ねて行ったこともある。

 

最終的に、真っ黒に日焼けした私は、外人に間違えられた。

 

久米島観光ホテル!

 

那覇に着くと、地図に書いてある電話番号に片っ端から電話をかけた。 すると、久米島観光ホテルの宇江原さんが、「すぐに来い」と声をかけてくれた。   それ以来、島で最も古い観光ホテルに住み込みで働くことになる。

 

鹿児島あたりで考えていたのは、人が限りなく少ない小さな離島で、米を作って自分で炊くような原始的な生活がしたいという夢だった。

 

久米島は、それに比べると大きな島だ。 でも、久米島の規模は、未だ理想的であることに変わりない。   車で一周するのに3時間程度(記憶があいまい)。 美しいビーチ、山(山がない離島が多い)、遺跡があるが、宮古島ほど大きすぎず、竹富ほど小さすぎない。 これは個人的な主観なので、もうこれ以上説明はやめておく。

 

海辺の丘の上にあるホテルは、島で一番のロケーションだったが、ホテルは古かった。 しかも、創業者の息子が支配人になっているのだが、漁師なのでホテルをやりたくない。 私にホテルのすべてを任せて、漁師に没頭するという魂胆だった。

 

ホテルの仕事は楽しかった。 何が楽しいのかというと、ボロボロのホテルをいかにお金をかけずに復活させること。 リゾートがリゾートらしくあるために、どうすればいいのかを考えた。

 

当時、久米島にはイーフビーチホテル、ホテル日航久米アイランド、サンリーフホテルという、久米島観光ホテルよりも新しく、よりリゾートらしいホテルが多くあった。   久米島観光ホテルだけは、時代が取り残されたような古さだった。

 

玄関フロアは煉瓦風だが、その溝はアスファルト色。 私は、まず空き時間にその溝を白く塗ることに没頭した。   それが終わると、あらゆるものを白くペイントした。   丘の海辺側は芝生。時間が余ると、そこのテーブルでのんびり本を読む(冬はそこから鯨が見える)。 それはまさに、今自分が求めている、「何もしない時間」だった。

 

そのうち、支配人に誘われて沖釣りやカジキ・マグロ釣りに出かけ、ジャック・マイヨールに憧れて素潜りをはじめた。 ホテルにダイビングショップがあったので、船に乗せてもらえたのだ。

 

素潜り体験は語りきれないので、省く。   ミニマリズムに繋がるのは、サーフボード体験だ。     久米島はウィンドサーフィンのメッカで、世界的な選手も輩出していた。 私も一式を買って没頭するのだが、好きだったのは、ボードだけでイーフビーチの前の海で佇むこと。 リーフまではずっと先なので、どこまで行っても青い海。 そこに、ただボードの上で風景を眺めるのだ。

 

北海道で育ったせいか、青、時には緑の海の色が本当に好きだった。 眺めているだけで、精神は強さを増す。 絵や詩で悩んでいた頭が、嘘のように強くなる。 私はこの体験のおかげで、一生鬱病にならないという自信がついた。

 

絵と詩はやめたが、あの濃い空と海を撮りたくて、写真は続けた。 ポジフィルムで、自分なりに露出とシャッタースピードのことをあれこれ考えて、海と空ばかり撮っていた。

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サーフボードは海辺に置きっぱなし。盗まれない。

 

奥武島とオーハ島の海峡の海の濃さがお気に入りだった。 それが今の仕事に繋がっているのかどうかはわからない。

 

が、そこでの生活は、やはりミニマリズムに繋がっている(あくまで最近気づいたことだ)。   海の上に佇むだけで、なぜあんなに充実感があったのか、その答えはなかったが、今、ミニマリズム的に考えると、よくわかる。

 

家具がないどころか、大自然の中で、海パン一つだ。   携帯(当時は出始め)も本さえもない。 海の上、波もないから、やることもない。   太陽の下、塩分たっぷりの海水の上、体中の細胞が喜んでいたことだろう。

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これは多分、砂浜だけの島、ハテノハマ。   将来、それが出来なくなるとは、そのころ思っていなかった。 ずっとこの島で、死ぬまでこの島にいたいと思っていたからだ。

 

捨てた。 

 

思えばいろいろ捨ててきた。 札幌西という進学校に行ったのに、北大という夢を捨て、芸大という夢も、画家という夢も捨て、友人たちとの楽しい日々も捨てた(精神的に参ったのは、友人たちと遊べないことも一因だった)。

 

札幌を捨てて旅に出ると、友人たちと遊べない寂しさから解放された。   自分の好きだった本棚とお別れし、バックパック一つで宿無しになると、駅で眠れた。   沖縄に着いたときは所持金3万円だったが、怖くはなかった。

 

「ホテルに泊まると、自分のものがないから眠れる」というのはミニマリズム的だが、ホテルの客室に住み込みだった私は、毎日ホテル暮らしのようなものだった。

 

夜は、島の道を車で走る。 真っ暗な場所を探す。 山の上で、港の防波堤で、雲のような天の川をただ眺める。   携帯もネットもない時代で、遠距離電話が高い時代だから、友人との連絡は手紙に限られる。 今思うと素敵なやりとりだった。   そ

 

のころからもうすぐ20年経つが、今行ったらどんな感じだろう。 観光客として(たぶん久米島観光ホテルはもうない)泊まり、ネットは繋がり、サーフボードは無いので海の上には佇めない。 それでもいいのか。

 

毎年、あのぼろい久米観に来るリピーターの男性がいた。 20日くらい泊まって、ホテルにある「マスター・キートン」をラウンジで読んでいる。   「何もしないで、ここでマンガを読むのがいいんだよ」   当時、理解できなかった彼の行動は、今ならわかる。

 

今久米島に行ったら、俺も海辺で何もしない。 (Kindleで本は読むけど)

Author Profile

沼畑 直樹
Numahata Naoki

『最小限主義。』、写真集『ジヴェリ』『パールロード』他(Rem York Maash Haas名義)、旅ガイド『スロウリィクロアチア』他
英語を母国語として学ぶ http://mothertongue.jp


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