下諏訪 街と人のレイヤー
佐々木典士

長野県の下諏訪(しもすわ)を訪れた。

仕事のため。そしてA1理論さんが1年もしないうちに、5度も通いハマっている場所ということで、興味もあった。

下諏訪はとにかくミニマルな街だ。三角八丁(さんかくばっちょう  一辺が八丁=約800mの三角形)と呼ばれるエリアがある。この小さなエリアのなかに諏訪大社、万治の石仏といった観光名所、温泉、そしてここに移住してきた工芸や手芸の気鋭の作家たちが軒を連ねる商店街までがあり、徒歩で充分に楽しめる街。

 

A1理論さんのガイドもあって、とても楽しい時間を過ごした。が、ぼく一人でふらりと訪れてもこんなに楽しくはなかったはずだ。

木製のスピーカーを作られている千万音さん、木製細工でミニチュアの世界を作られているゴロンドリーナさんなどを訪れた。他にも魅力的な作家さんたちがたくさん集まっている街。ただ一見ひっそりとしている。お店は閉じていることも多く、制作に没頭されている場合もあるようだ。

閉じられた空間にアクセスするには、こちらがオープンである必要がある。気負わず、閉じたドアをノックする。驚いたことにドアが開かれると、多くの人が嫌な顔をせずに歓迎してくれた。

ぼく一人ならば「閉まっている」という当たり前の理由で、足早に立ち去ったと思う。この街の楽しみ方を知り尽くしているA1さんがいたおかげだ。こちらがオープンでいれば、街に潜んでいた新たなレイヤーが立ち上がってくる。

ぼくがこの街でいちばんおもしろかったのは、単純にお話を聞くことだった。店では作家さんの思いや、移住してきた理由などを聞く。伏見屋邸では、地域のボランティアのおじいちゃんとおばあちゃんとこたつを囲みながら土地の話を聞かせてくれる。野沢菜の味噌漬けやお茶うけを頂きながら、たっぷり2時間は話を聞いただろうか。

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(地域の方による手芸品)

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(野沢菜の漬物 絶品!!)

 

A1さんは街の歴史のレイヤーまでも掘り起こそうとする。「劇場があったらしいですけど、どの辺にあったんですか?」と地図を広げながら聞いている。これから下諏訪史を編纂するかのような熱心さ。(帰りの電車で少し謎が解ける。下諏訪はA1さんが見つけた「地元」なんだと思う)

ここは東京とは時間の流れが違う。時間の使い方が違うと言ったほうがいいかもしれない。お話を聞いたどの人も「この後の仕事があるからそろそろ…」「他のお客もいらっしゃるだろうから……」といった時間の使い方ではない。向き合うべき人も多すぎないほうが、目の前の人を大切にできる。

 

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(下諏訪唯一の蔵元、菱友醸造の「御湖鶴」 試飲が楽しめる)

街だけではなく、人にもレイヤーが複数ある。バリアフリーに早くから取り組んできたという旅館、そこのお母さんにもお話を聞いた。とれいCさんも同行していたのだけど、お母さんの話を聞き、自分の思いも懸命に伝えている。ネット上だけでは決してわからない人のレイヤーだ。

街にも人にもレイヤーがある。何かを判断するときは、自分に見えるレイヤーを切り取ってみるしかない。いいものに見えても、よくないものに見えても自分がアクセスできないレイヤーがあることに謙虚でなければいけないと思う。

都会ではひとりひとりとじっくり話をすることができないけれど、1、2時間も腰を据えて話せばきっと誰もがおもしろいレイヤーを持っている。ぼくはミニマリストのモデルハウス見学に来てくれた数十人の方とのお話でこれを実感している。都会で目の前を通り過ぎるひとりひとり、その辿りつけないレイヤーに思いを馳せてみる。

宿泊したマスヤゲストハウスがまた素晴らしかった。ここにもとんでもないレイヤーが潜んでいる。この話はまたいつか書こう。

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(マスヤゲストハウスのバー 地元民と旅人の交流の場)

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(旅館のリノベーション  ペチカストーブが暖かい)

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(アーティストさんの作品も販売)

 

ポートランドに行ったことはないけれど、下諏訪はポートランドみたいだという話もしていた。Eric’s Kitchenというサードウェーブのような美味しいコーヒーを飲ませてくれるお店もオープンする。

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(Eric’s Kitchen オープン前にもかかわらず、コーヒーを頂く)

沼畑さんに下諏訪の話をしていて知ったのだけど、ポートランドもかつては寂れた街だったようだ。ガス・ヴァン・サントの『マイ・プライベート・アイダホ』などポートランド3部作と呼ばれる映画ではかつてのそんな風景も描かれているらしい。

下諏訪も製造業として栄えた街だったが、空洞化が早くから進み寂れてしまったという。寂れた街の家賃は安くなり、面白い移住者たちの実験場になることで盛り上がってくる。寂れたからこそ、盛り上がる。

だからといって寂れればどこでもいいわけではない。下諏訪のどこの人を訪ねても、オープンで歓迎頂くことが多かった。ぼくが大好きな国、クロアチアみたいでもある。銭湯が朝5時から空いていて、地元の人のコミュニティの場所になっている。風呂おけを傾けながら相撲の話や、自分の病気の話をする。移住者たちも口を揃えて、地元の人達の温かさ、面倒見の良さを讃えていた。そのオープンさあっての盛り上がりなのだ。

下諏訪のおもしろさが少しわかった気がする。これは街がミニマルだからこそだと思う。街は広すぎない。だから移住者たちと地元民の関係性、ひとりの移住者からの他の移住者への波及など、複雑な街では錯綜して見えなくなる「糸」が少しうっすらと見える。都会では見えづらい、街の誰かが誰かと影響しあっている様子が少し伝わる。そしてその糸が今、広がり始めている。

 

どの街も知ればきっと面白い。かつて通り過ぎただけの、薄い印象しかない街。

その街は、ぼくの知らない魅力にあふれている。

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この記事を書いた人

作家/編集者。1979年生まれ。香川県出身。『BOMB!』、『STUDIO VOICE』、写真集&書籍編集者を経てフリーに。ミニマリスト本『ぼくたちに、もうモノは必要ない。』は25カ国語に翻訳。習慣本『ぼくたちは習慣で、できている。』(ワニブックス刊)は12ヶ国語へ翻訳。