1年後のミニマリズム③
〜本当に手放したもの〜
佐々木典士

 これからミニマリストを「卒業」する人も増えてくると思います。これも当初より想定していたことでもありました。自分にとって、そして世の中にとって当たり前の価値観のひとつになれば、声高に名乗らなくてもすむからです。

ミニマリズムは準備運動でもある

 そしてミニマリズムはある意味で、やるべきことのための準備運動だとも思っています。いつまでも準備運動だけにこだわらなくていい。身体がほぐれれば、やるべきことに集中すべきです。

 ただ準備運動が終わり、自分の身体だけがほぐれたからといって、価値がないかのように言う人は早計です。それは、大人である自分が絵本を「卒業」したからといって、世の中からなくなってもいいと言うようなものだからです。

 とはいっても何かのスタイルにこだわり続けるべきでは確かにないのでしょう。
「スタイルを何も持たない時、人はあらゆるスタイルを持つことになる」
最近知った、ブルース・リーの言葉です。自分のスタイルに何か違和感を感じたとしたら、その違和感を抑えこまず、信じて次に進んでみればいいのです。

手放したものを届けること

 

ぼくはモノの量を少なくすることで、掃除することの気持ちよさに気づき、習慣になりました。自由な選択肢が選べること、身軽に行動できることの喜びを知りました。

そしてモノだけでなく、「小さく」考えてみることの素晴らしさ。
他にも気づけたことがたくさんあります。
たぶんこの価値観は、たとえ見かけのモノをどれだけ増やそうが変わらずぼくの中に残ると思います。何につけ、最小限で考えてみることもやめないと思います。

モノを手放して、家事を簡単にでき、身軽にできたことは大きいです。
ですが、モノ自体を手放したことよりも、モノやお金と固く結びつき始めていた価値観を手放せたことがぼくにとっては何より大きかったのではないかと思います。

モノはただ捨てるのではなく、なるべくならそれを必要としている誰かに届けたい。

ミニマリズムも同様です。必要なくなったから捨てるのではなく、それを今必要な誰かに届けること。

 

それは、ぼくの使命のひとつなのだと思います。

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この記事を書いた人

作家/編集者。1979年生まれ。香川県出身。『BOMB!』、『STUDIO VOICE』、写真集&書籍編集者を経てフリーに。ミニマリスト本『ぼくたちに、もうモノは必要ない。』は25カ国語に翻訳。習慣本『ぼくたちは習慣で、できている。』(ワニブックス刊)は12ヶ国語へ翻訳。