minimalism in NY②
サービスのミニマリズム
佐々木典士

今回はニューヨークで感じたサービスのミニマリズムについて。

接客はチェーン店でも感じ悪い人も多いし(これはぼくが充分な英語を話せないこともある)すっごく親切に、満面の笑みを振りまいてくれる人もいる。もちろん日本でも同様で、文化がもたらす違いより、個人差のほうが大きいとは思う。


しかし、エンパイアステートビルや、メトロポリタン美術館などオフィシャル感がある場所でも、どこで働いている人も、私語を楽しみ、踊り、暇な時間はスマホで動画を見てたりしていて楽しそうに働いているのが印象的だった。総じてマニュアルではなく、自分の気持ちにしたがってやっているという感じ。

 

※メトロポリタン美術館。とにかく広い。大事なものは全部ここが持っていてくれている、という感じ。
日本のサービスを100点満点の完璧なものだとすると、ニューヨークのサービスはよ〜く見積もっても70点ぐらいじゃないかと思う。しかし、その残りの30点を埋めようとすると、それまでの70点のサービスを作り上げた以上の労力がかかってしまうんだと思う。日本の生産性が低いと言われているのもそのあたりに原因があるのではないか?

 

コーヒーに必要な最小限は?

たとえるなら、コーヒーを頼むとして、ニューヨークでされる質問は「ミルクと砂糖いる?」とだけ聞かれるような感じ。必要最小限。日本では「ミルクはどういうものにいたしましょうか? 3種類ご用意がございます。ミルクはあたためますか、常温のままでよろしいでしょうか? 砂糖は6種類ご用意がございまして……」と言われている感じ。一見サービスがいいようにも思えるけれど、要望に応える方だけでなく、実は決める方も消耗してしまう。

 

問題になっていた宅配便のサービスなんかでもそうかもしれない。ぼくは宅配便の人と相談して、不在のときにはそのまま玄関先に置いてもらうようにしている。何かあるかもしれないから、という理由で持ち帰られてしまうと再配達はお互いに面倒くさい。盗難に合ったり、暴風雨で水浸しになるリスクもあるにはあるけどそれより、普段お互いが楽できるほうを選びたいし、何かあってももちろん文句はない。

 

コーヒーを頼むとして、大切なのは、ブラックなのかミルクと砂糖が入っているかどうかだ。たぶん、その他の小さいことはあなたに任せるし、私も大体で満足できる、ということは生産性が高いんだと思う。
そういえば、映画でよく新聞配達の人が新聞を投げている様子を見るけれど、実際に軒先にある新聞を見て感慨深かったなぁ。

 

こういうのは日本だとありえないだろう。でもわざわざ玄関先のポストまで丁寧に入れるのは、お互い大変だし、そこまでしなくていいよね、というのがサービスする側も受ける側でも共有されている。
ニューヨークで日本のtwitterを見ていたら、本当に会社や仕事で悩んでいる人は多くて、働くことへの意識が少し違うんだろうなと思った。日本ではみんな責任感がとても強くて、そのせいで無理しすぎてしまうこともある。(そういえば、会社員時代の12年間に有給取ったことないよ、って言ったら英語版の編集者さんがとても驚いていた(笑))

 

日本でも仕事中も私語してもよかったり、もっと仕事を堅苦しいものではないようにしたほうがいいのではないかと思う。

 

お客様は、お客様です!

そしてぼくは日本ではお金を払う「お客様」の立場が尊重されすぎているのが気になる。だからお金をもらう側の、働く側の立場に立つと苦しいんだと思う。日本のサービスは素晴らしいけれども、その優しさに慣れすぎて偉そうに振る舞っている人がぼくは許せない。それは「こっちはお金を払っているんだ」みたいな言葉に現れる。もっと対等でいい。お金とモノやサービスは同じ価値のものを交換しているのだから。
気に入らない消費者がいれば、もうここにこなくていい、もうここで買わなくていい、と言っていい権利があるんではないだろうか。(その権利が認められないから、組織の中で働くことや、画一的な対応が求められるチェーンで働くのはつらい。詳しくは髙坂勝さんの本をご覧ください。もっと小さく独立して生きる人が多くていい)

 

短所と長所は裏返し

短所は、長所の裏返しでもある。たとえば、今回の滞在でお世話になった、「ロン毛と坊主とニューヨーク」さんのエントリーは興味深い。

ニューヨークで働いて感じる「日本の常識」は自分の最大の武器になる可能性について
外にいるからこそ見えてくる「日本の常識」の非常識さ、表裏一体の長所と短所。
(運営されているゲストハウスはおすすめ。ニューヨークで長年住むお2人の話はとっても興味深いです)

 

※ゲストハウスがある、ブルックリンのアーティストが集う地区、ブッシュウィック。グラフィティが街を彩って歩くだけでも楽しい。落書きではないだろうし、こういうのが認められている場所は、日本にあるのだろうか?

 

ロン毛さんとは「日本とアメリカを足して割ったような感じがいい」という話をしたりもした。「カナダとかそうなんじゃないか?」とか行ったこともないのに、思ったりした(笑)。短所は、長所の裏返しだから、もちろん短所を埋めると、長所も少し損なわれてしまう。

それでも、やはり日本のサービスは行き過ぎて、バランスを欠いているのではないか? もっと「これぐらいでいいよね」という基準を下げたほうが、サービスする側も、受ける側とも気持ちが楽なのではないだろうか。
少なくとも、この方法が当たり前ではないし、違った方法でやっている人たちがいる。

 

 

ミニマリズムは、単に少ないという状態を指す言葉ではない。

あまりに肥大してしまったものの意味を、減らす中で、もう一度考え直してみることである。

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この記事を書いた人

作家/編集者。1979年生まれ。香川県出身。『BOMB!』、『STUDIO VOICE』、写真集&書籍編集者を経てフリーに。ミニマリスト本『ぼくたちに、もうモノは必要ない。』は25カ国語に翻訳。習慣本『ぼくたちは習慣で、できている。』(ワニブックス刊)は12ヶ国語へ翻訳。