「読む」のをミニマル化して、「聴く」ことに訪れる変化。     沼畑直樹

金曜日。保育園に子どもを送った帰り道。いつもの窓辺の席を選んで、新聞を読み、本を読む。

『わたしを離さないで』は1回目を流し読みして、今は2回目。今度はじっくりと時間をかけて読んでいる。

ある程度読むと、iPhoneから流れる曲に集中する。

 

 

自分のブログで最近、歌詞を翻訳した英語の曲で、言葉のテンポが速く、歌詞を知っていても上手に歌えない。

口ずさみたいのに、覚えたいのに、歌詞が上手くリズムに合わないのだ。

だから、私が普段の英語を聴くときに使う方法、「ただ聴く」をやってみた。

 

 

「耳」というのは、本当に面白い。

本を読みながら聴く曲の詞はまったく耳に入ってこないし、ただ目の前の窓の向こうに見える空を眺めながらぼーっと聴いていても、それほど入ってこない。

だけども、今、瞬間の音に集中すると、突然耳に入ってくる。

英語は特に、はっきりと単語が聞き取れるようになる。

方法としては、相手の歌を真似して歌うように「聴く」こと。

すると、聴き取りができなかったような細かい音まで、ぐっと頭に押し寄せてくる。

この瞬間がいつも楽しい。

 

いつでも上手くいくわけではない。

集中がどうしても必要で、意味などを考えすぎると失敗する。訳そうとしたり、とにかく余計なことを考えると駄目だ。

上手くいくときは感動的。ボリュームを上げたような不思議な感覚になり、歌の場合はなぜか、いつもより感情が揺さぶられる。

そうして、音に集中して聴くのを繰り返すと、素直に口ずさめるようになるのではないかと考え、何度も同じ曲を聴くのだ。

歌詞を読んで暗記しようとするのではなく、音だけを聴くことで、音として覚えるようにする。

「文字を読む」「暗記しよう」という行為や意思を削除するのだ。

 

ノートにたくさんの文字を書いて「勉強」してきた自分にとっては、「音で覚える」なんて、考えたこともない。

音で勉強しようなんて、考えたことがない。もしオーディオブックのような教材でノートをとらずにいたら、さぼっているような感じに捉えるだろう。

だけど、九九を覚えたのはきっとその音やリズムからだ。年号の語呂合わせも。

中学生のころによく聴いていた曲は、今でも口ずさめる。

「忘れない」という意味では、耳は凄い。

 

人が幼児のころに言語を習得できるのは、文字抜きに音だけを聴いて真似をするからだ。

机に向かって勉強したわけではない。

人は、音から覚えると忘れない能力があるらしい。

だけども、その能力を大事に使っていたのは、文字をもたないアイヌの人々であり、ユーカラを口承できたのも、その能力のおかげだ。

 

今の世界では、子どもは4歳、5歳で文字を学ぶ。読み方、書き方を学ぶ。

そこからは、言語の習得方法が、がらっと変わっていく。

母親の口からアクセント込みで覚えた言葉と、文字を読んで覚えた言葉は違う。それでも、小学生のころは先生が何かを話して教えてくれる。毎日の友人との会話で、何か新しい言葉の音が入ってくる。

音から覚えることはまだまだ多く、耳をフル稼働させている。

中学生になると、少しずつ、ノートに向かう時間が増えていく。辞書やインターネットでいろいろなことを覚えていくようになる。

「人から聴いて学ぶ」機会が失われていく。

 

「子どもは耳がいい」と大人は言うが、大人はその感覚を失っているだけだ。

ノートに集中したころから、その代償として失ったのだ。

 

 

感覚を鋭く

 

「ただ聴く」方法に成功した場合、耳のボリュームは上がる。

 

私は英語において、この「ただ聴く」をやるようになって、リスニング力が以前に比べて数段あがった。

今はフランス語もこの方法でやっていて、興味深い結果がいろいろと出てきている。

英語だけではない。何かを覚えようとしたときに、「耳」もしくは「目」の感覚を鋭くさせるようにしている。

たとえば、数字を何桁か覚えなくてはいけないときは、音。

書かれている数字を目で見ていたときは、その残像。画そのものを頭に焼き付けるようなこともする。

文字で読むのではなく、その造形そのものを記憶するのだ。

思い返せば、若い頃にデッサンをしていたころに使っていた感覚で、最近は失ってしまったようなもの。

音に関しては、友人の電話番号を暗記していた子どものころの感覚だ。

 

現代社会では、多くを得ようとして人が失っている感覚があるということだ。

テレビのテロップは理解するのに役立つが、「聴く」感覚の邪魔をする。

『わたしを離さないで』を読むのは楽しいけれど、オーディオブックだって違う感覚で物語を味わえるし、演劇やドラマ、映画はまた違った印象をもたらしてくれる。

人の発言をネットの文字で読むのと、実際に聴くのとでは受け取り方が変わる。

 

「聴く」感覚を鋭くし続けている人々もいて、そんな人たちにはあまり関係のない話だったかもしれない。

私は「読む」に偏った生き方をしていたので、「聴く」ことを苦手としていたため、こんなことを考えているだけだ。

芝居の世界の人や音楽の世界の人は、そもそも耳の感覚は鋭い。

ある俳優さんに長台詞の秘訣を訊いたら、「何度も話すうちにリズムと一緒に覚えていく」という。

また、覚え方としては一度言った台詞を録音して、何度も聴くという方法もこの世界にはある。

 

英語でリスニングが苦手と感じている人は、私のように「読み書き」に偏っている可能性がある。

外国語は本当にノートとペンを必要としない。

人が話す一つひとつの音を、真似して自分が話すように聴き、ボリュームが大きくなったと感じることができれば、音は正確に聴き取れるようになり、自然と話せるようになる。

その場合、最初は訳せないが気にしなくていい。

音をしっかり聴き取れれば、頭にそれが残るからだ。

 

 

 

 

お昼前、昔、意味もわからず聴いて歌っていた英語の曲を二つほどiPhoneから探して、久しぶりに聴いてみた。

素直に、歌うように、真似するように、懐かしい声を聴いていたら、その歌い手たちの感情がぐっと心に入ってきた。

共感するという力。

これも人間の不思議な能力の一つだと思う。

 

 


 

英語について、「聴く」ことについて、いろいろ書いています。

http://mothertongue.jp

 

 

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この記事を書いた人

『最小限主義。』、写真集『ジヴェリ』『パールロード』他(Rem York Maash Haas名義)、旅ガイド『スロウリィクロアチア』他

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