「書きたくない」という日記
佐々木典士

友人に、英語の日記を毎日スマホでつけている人がいる。

日記は「自分の気持ち」「表現したいこと」を直接書くので、

英語を話すときにも、とても役立つということだった。

 

 

その友人は何年もそれを続けているが、

もちろん日によって書きたくないときもあるという。

 

 

そんなときはどうするかと言えば、

「書きたくない」と日記に書くというのだ。

 

 

この一行からすべて始まる。

「書きたくない。だって今日は仕事がとても大変で疲れているから。なぜ仕事が大変だったかと言えば……」

と、書き始めさえすればなんだかんだで書くことが続いていく。

 

 

中原昌也さんは「書きたくない」ということを、小説やエッセイに書き続けていたことがあって、

もはやひとつのテーマのような存在感を持っていた。

 

 

どうしても気分が乗らなければ

「書きたくない」という一行を書くだけでもいいと思う。

自分の気持ちの沈みを、日付とともにしっかり記録することになるから。

ぼくも日記を三年ほど続けているが、それだけの情報でも続けていれば自分のリズムがわかってくる。

 

 

そして何より、どんな形であれ「習慣を継続した」ということに変わりはない。

これは習慣を「形式的にでも続ける」というれっきとした技術でもある。

 

 

一行書いただけでも、何もしなかったこととは、天地の差があるとぼくは思っている。

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この記事を書いた人

作家/編集者。1979年生まれ。香川県出身。『BOMB!』、『STUDIO VOICE』、写真集&書籍編集者を経てフリーに。ミニマリスト本『ぼくたちに、もうモノは必要ない。』は25カ国語に翻訳。習慣本『ぼくたちは習慣で、できている。』(ワニブックス刊)は12ヶ国語へ翻訳。

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