和束町、デュニヤマヒル、コミュニティビルド
佐々木典士

昨日は、和束町(わづかちょう)というところに初めて行った。

800年続くという、京都のお茶の産地。

宇治茶の40%は和束産なのだとか。

 

和歌山に「デュニヤマヒル」というセルフビルドのとんでもなく素敵な場所があるのだが、そこを建てられたAkiraさんがアースバッグハウスについていろいろお話してくれるというイベント。以前も長野で行われた「軽トラキャンパーフェス」でAkiraさんが1ヶ月で作られたというキャンパーを見て度肝を抜かれたのだった。

 

なんと二重構造になっていて、居住スペースを引き出して広げられる作りになっている。

 

和束町は茶畑と、昔懐かしい家並みがほっとできるような場所。夜は星もとてもきれいだった。

 

 

アースバッグハウスはものすごく簡単に言うと、土を詰めた土嚢袋を積み上げたものに壁を塗り込んだ家。ホビットの家のようで、形が柔らかく優しい。

 

 

会場はゆうあんビレッジ。築150年の茅葺き建築を復元したという素敵な場所。

 

こちらの山下丈太さんは和束町を盛り上げるために、いろんな活動をされている。

アースバッグハウスやストローベイルハウスについては、以前から興味があって、千葉県の匝瑳市で作られたものや、長野県安曇野市のシャンティクティで作られたものを見学していたりした。

 

お話はいろいろおもしろかったが、印象に残っているのはとにかくAkiraさんがアースバッグハウス作りを「楽しい」「楽しい」と言っていたところ。土が入った袋を積み上げていく作業は重くて大変なはずだが、苦労を聞いてみても「楽しい」というお返事が返ってきた。

 

 

デュニヤマヒルの建物はワークショップの形式などで100人以上が参加したらしい。

 

 

ぼくも今まで、床貼り、リノベ、小屋作り、軽トラキャンパーなどいろんなワークショップに参加してきたがいつも驚くのは本当にたくさんの参加者が熱心に参加されていること。

 

 

たくさんの人がときにはお金を払ってまでワークショップに来て作業をする。もちろん技術を学べるというのはあるけれど、それだけのために遠いところへ行ったり、大変な作業をわざわざ行うというのはなかなか説明がつかない。が、ぼくの経験でもそうだし、Akiraさんがおっしゃっていたこともそうなのだが、人と何か一緒に作業をすることは他にはない喜びがある。

 

 

鶴見済さんの「0円で生きる」には、かつて日本の伝統的な村で行われていた助け合いの形がこんな風に説明されている。

 

・結(ユイ)は田植えや屋根の葺き替えなど、人がたくさんいなければ大変な作業を、いくつかの家が労働力を出し合って行うこと。他人の家を手伝うことで、自分の家の番も手伝ってもらえば作業を効率的に行うことができる。

・催合(モヤイ)は道路や共有林、井戸など公益性のある場所の作業を力を出し合ってすること。(この作業をするための場所が「寄り合い」)

・手伝い(テツダイ)は返礼を期待せずに行われるもので、冠婚葬祭がその代表。

 

以前、YADOKARI小屋部の唐品さんから「コミュニティビルド」という言葉を聞いたことがある。

すでにあるコミュニティで大変な作業をシェアし、何かを作るという意味合いもあるが(前述の結のようなイメージ)何より楽しいのは作業を通して新たなコミュニティを作ることができるということ。

 

 

ぼくが参加したワークショップでも、印象に残っているのは学んだ技術以外のものだったりする。それはこんな機会がなければ、接点がなかったような人から聞く知らなかった知識であったり、休憩中や打ち上げでの何気ない会話だったりする。完成するものはもはや大きな問題ではなく、もはや二の次。Akiraさんがおっしゃっていたのも同じようなことだと思う。

 

 

そしてワークショップで知り合った人が新たなワークショップを開いたり、何かを作ったりするときは駆けつけたりする。

 

 

「結」は屋根を葺き替える必要がなくなったり、プロに任せたりするようになり、田んぼも機械を使って家庭でこなせるものになって廃れていってしまったそうだ。

 

ワークショップの参加者はいつも楽しそう。文化祭は、大人にだって必要なものなのだといつも思う。今はインターネットを通じて、なんだか「結」が舞い戻ってきているような感じなのだ。

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この記事を書いた人

作家/編集者。1979年生まれ。香川県出身。『BOMB!』、『STUDIO VOICE』、写真集&書籍編集者を経てフリーに。ミニマリスト本『ぼくたちに、もうモノは必要ない。』は25カ国語に翻訳。習慣本『ぼくたちは習慣で、できている。』(ワニブックス刊)は12ヶ国語へ翻訳。