毎日続く「仕舞い」の行為   沼畑直樹

  集中的に部屋を整理して1年以上が過ぎた。

最近、改めて部屋中の「置いてあるもの」を片付けて、知らぬ間に1つ2つとモノがあらゆる場所に置かれはじめていたんだと気づいた。

  置く場所がたくさんあるのだから、それぞの置く場所に少しずつ、ぽつぽつと置かれていくのだ。

  これは、家の誰か一人が、集中的にリーダーシップをとって片付けていくしかない。

一番崩れやすいのは、台所付近だろう。

  スーパーで毎日のようにモノを買い、料理をして洗い物が増え、洗ったあとの皿たちが放置される場所だ。

ここをシンプルに保つには、実際に1年が経っていろいろな考えが浮かんでくる。

  まず、いわゆる断捨離的な部分と、この台所の整理は根本的に違うからだ。     モノを捨てたり、家具を捨てたり、部屋を革命的にすっきりさせる行為は、1日だったり1週間ぐらいで終わる。

それは刺激的な行為なので、その後しばらくはその高揚感が続く。

  一方で、台所的なものは毎日、変わらず続いている。 スーパーの袋、買った食材のパック、ゴミ袋、ふきん、食べ終わったばかりの皿、コップと、1日部屋で過ごせば常に生産されるものだ。

  料理をして、たくさんの洗い物が増える。 食べて、食器を台所に持って行く。 洗う。

  お客が来なければ、通常ここでしばらく水切りで皿を乾かしておいてもいい。 フライパンもガス台の上に置きっぱなしでもいい。

「あとでやろう」でいいはずだ。   しかし、この繰り返しが、永遠にキッチンが片付かない状況を作る。

出来うる限り、片付け、仕舞うこと。 そして、美しくすっきりと整頓された空間を感じる。

まるで禅寺の修行のようだが、これこそが禅や茶道が説いてきた「仕舞い」の行為の美しさだ。

  なぜそんなことをする必要あるのか? という問いには、やってみるほかない。 やってみて、精神的な充足感を感じ、やる意味があると思った人がやるだけだ。

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この記事を書いた人

『最小限主義。』、写真集『ジヴェリ』『パールロード』他(Rem York Maash Haas名義)、旅ガイド『スロウリィクロアチア』他

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