さよなら、中目黒
さよなら、めんどくさい

 

ご紹介してきたぼくのお部屋ですが、引っ越しをします!
最終的にお部屋はこうなりました。

ミニマリスト 部屋

買い替えたテーブルも、手放してしまった。もはや自分に必要なのはテーブルでなく「トレイ」だったという……。

姿見も、ゴミ箱も手放した。この6畳の部屋にはもう何も出ていない状態にできます。

ミニマリスト 部屋

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ちなみに食事をアウトソーシングするつもりは今はないので、電子レンジ、冷蔵庫、調理器具はひと揃いちゃんとあります。洗濯機もあります。

ミニマリスト 部屋

 

この部屋には10年も住んだ。会社から近く、日当たりもよい。特にとても静かなところが気に入っていた。すごく気に入っていた部屋だがこんなに長い間、住むことになるとは思わなかった。

 

引っ越しを本当に阻むもの

それはモノを溜め込んでいたせいで、引っ越しが難しかったからだ。

集めた本と本棚を置くには、これぐらいのスペースが必要だ。

この自慢の食器棚を置くには、これぐらいキッチンが広くなければならない。

大きなテレビを置き、そのテレビを見るために適切な距離をとってソファを置くにはこれぐらいの大きさがなければならない。

溜め込んだモノをまとめて置くための倉庫のような部屋が欲しい。モノはすべてそこに収めることにすればスッキリするのではないか?

そんなことばかり考えていた。
たまに引っ越しをしようと思い立っても、理想を実現できる部屋には、経済的に到底住めない。いっそ家を買ってしまう? 将来のことが何も決まってないのに? モノを買い続けているせいか、なかなか引っ越し資金も捻出できなかった。

何より「めんどくさかった」。

不動産会社に行き、希望の家を見つけ、契約をする。部屋の片付けをし、引越会社を見積もり、すべてを丁寧に梱包をし、掃除をする。各所に引っ越しのお知らせをする。「めんどくさい」。

長く住んで、自分仕様にカスタマイズされた空間は快適ではある。快適な空間を新たに作っていくことも「めんどくさい」ことだろう。

 

「めんどくさい」が、わからない

モノが少ないと家でやるべきことが少なくなる。

掃除も、洗濯も、洗い物もたまらないうちにやるようになった。やるべきことをそのやるべき瞬間に片付けていく。「やらなきゃ」と思った瞬間、その気持ちを無視するのではなく、行動に変えていく。

そうするとやるべきことはたまらず、結果「めんどくさい」と思うことが減っていく。「めんどくさい」とはやるべきことが多すぎる状態。またはやるべきことがあるのに、雑事に阻まれてそれに辿りつけない状態だと思う。

以前はよく思っていた「めんどくさい」という感情がどんなだったか、正確に思い出せないようになってきている。

 

モノを捨てたり、やるべきことを少なくしていくと「めんどくさい」と思うことがあまりない。ただ目の前の「今」を片付けていくだけだ。これは仕事でもなんにでも通じていく。

そんな風に淡々と、10年ぶりの引っ越しを片づけていった。物件を見るのは楽しかった。10年ぶりの各種手続きも楽しんだ。ウォシュレットの取り外し工事も楽しかった。

モノが少ないと、引っ越しはめんどくさいものではなくなる。

この10年間、「めんどくさい」「めんどくさい」と思っていたぼくは、はっきり言って停滞していたと思う。その停滞からぼくは動きはじめている。

 

「めんどくさい」にとてもよく効く薬。それが「ミニマリズム」だ。

 

「他人の目線」を捨てる

10年前に中目黒を選んだ理由は、通勤に便利なのと、おしゃれな街だったからだ。誰かに「どこに住んでるんですか?」と質問されたら、少し誇らしく少し恥ずかしい気持ちで「中目です」と答える。引っ越したてのとき、東急東横線で、中目黒の駅で降りるのが誇らしかったのを覚えている。

ようするに10年前のぼくは住む場所を、「他人の目線を気にして」選んだのだ。

次の場所は自分の条件に照らして選べたと思う。これは「他人の目線を気にして」持っていたモノをたくさん捨てたから、できたことだ。

 

10年間住んだが、ご近所さんのことはよく知らない。行きつけの店もなく、友達も全然いなかった。そういえば、男友達を家に呼んだことすらないのだ。ただ、ぼくがとても閉鎖的な人間だったからだ。これも、これから変わっていくだろう。

10年間通い慣れた道、「これが最後の通勤路か」と思うと感傷的な気持ちになった。こんな感傷的な人間だからこそ、誰かにもらったものを、ずっと捨てずに置いておいたんだろう。

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「これが最後の通勤路か」と感傷的な気分に陥ったが、すぐに考えを改めた。引っ越すのはとなりの区だ……。もしこの道を本当にもう一度歩きたければ、いつでもくればいいのだ。

これもモノを捨てることから学んだことでもある。本当に必要なモノはいつか必ず戻ってくる。

ぼくは両極端の人間なんだろう。
一方の極端についた反動でしか、反対の極端へ向かえない。

汚部屋からミニマリストへ。
完全閉鎖からフルオープンへ。
同じ部屋の10年から、今度は動き続けよう。

 

 

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この記事を書いた人

作家/編集者。1979年生まれ。香川県出身。『BOMB!』、『STUDIO VOICE』、写真集&書籍編集者を経てフリーに。ミニマリスト本『ぼくたちに、もうモノは必要ない。』は25カ国語に翻訳。習慣本『ぼくたちは習慣で、できている。』(ワニブックス刊)は12ヶ国語へ翻訳。