好きなたとえ話がある。
1頭のゾウがいた。
その当時は、ゾウのことを誰も知らなかった。
人々が暗闇の中で、そのゾウに触る。
ある人はゾウの耳を触りながら、
「これは大きな扇のようですね」と言った。
ある人はゾウの太い足を触りながら、
「いや、扇ではないだろう。これは柱だ」と言った。
ある人はゾウの尻尾を触りながら、
「柱だと? これは綱だろう」と言った。
ゾウは触った箇所によって扇でもあり、柱でもある。
どれもが真実で正しい。しかしながらゾウを例えたものはまったく違い、意見は異なってしまった。
今のミニマリストはその「ゾウ」みたいなものだと思う。
ミニマリストの豊かなバリエーション
ある人はNHKのミニマリスト特集を見て
「これは、いかれた仙人だけがすることだ」と思ったかもしれない
(※極端なぼくの例が、メディアに出てすみません……。)
ぼくは各地のオフ会に参加もし、たくさんのミニマリストに実際に会った。
ミニマリストだからと言って、みんながみんな、ぼくのようにフローリングに正座しているわけではもちろんない。当たり前の話だけれど、ミニマリストにはミニマリストでない人と同様に、豊かなバリエーションがある。
先日、ミニマリストの飲み会があった。
ぼくのように白シャツでシンプルなファッションをしている人がいれば、スーツ姿の人もいて、ヒョウ柄のTシャツを着ている人がいた。性別、年齢、未婚/既婚、趣味も、やっている仕事もバラバラ。大事に残しているモノの種類も、量もみんな違う。
居酒屋の店員さんは、この参加メンバーのバラエティに富んだ様子を、ずっと不思議に思っていたらしい。
お会計をする頃になって、店員さんは
「こちらは、何の集まりなんですか?」
とたまりかねた様子で尋ねてきた。
バリエーションのあるミニマリスト。ある人は扇であり、柱であり、綱であるが、それだけではない。
モノが大好きで、厳選したお気に入りを持つミニマリストがいる。
モノに興味が薄く、コスパ重視のミニマリストがいる。
独身のミニマリストがいる。そして夫婦で、家族でミニマリズムを実践している人たちがいる。
都会にも、地方にもミニマリストはいる。
節約のために、ミニマリズムをうまく使っている人がいる。
億万長者で、いくらでもモノを買える余裕があるミニマリストがいる。
無駄なお金を使わないミニマリストがいる。
バンバンお金を使うミニマリストがいる。
経済を回すミニマリスト?
経済を回すのは、モノだけではない。ぼくは節約を全然しない。交通費をかけ、全国の会いたい人に会いに行く。当然地方にお金もたくさん落とすことになる。キャンプをしたり、旅行をしたり、モノではなく経験にお金をかけるようになっている。ぼくは今でもモノが大好きだ。クラウドファンディングを通して、本当に革新的なモノならば惜しみなくお金を払う。新しい生き方をしている人に直接お金を払う。自分がこれから育ってほしい「産業」のようなものにお金を使いたいと思っている。
さらに言えば、ジョブズのような一貫したミニマリズムの哲学を持った成功者が日本でも現れればどうなるだろうか? アップルのような企業が日本で1社でも生まれたとしたら、経済はどうなるだろうか?
よくわからないものに出会ったとき、もしかしたらこれはゾウかもしれないと自分も考えるようにしたい。そして自分が「扇だ」「柱だ」と呼ばれても、相手を非難すべきでもない。
ぼくが本を書いたときにいちばん気をつけたのは、「モノが少ない価値観」の押し付けをしないということだ。本の中でも触れているが、「これ持ってないんだ、ダッセー!」という気持ちと、「まだこんなモノ持ってるんだ? ダッセー」という気持ちは、同じ心の働きだと思う。そしてとても貧しい心だ。
人を「分断」する思考
ぼくがミニマリズムを通じて減らしていきたいと思うのは、そういうふうに人を「分断」しようとする思考だ。
モノをたくさん持てた人は勝ち組で偉い、少ないモノしか持てなかった人は負け組でダメな人間だ。そんな、人を「分断」する思考。
ここまでモノを減らせた自分はクールである、まだモノに執着している人はクールじゃない。そうやって人を「分断」する思考だ。
モノはたくさんあった方がいいという価値観がある。
そこに、モノは少なくたっていいという価値観を付け加えたい。
そして常識へ……
ぼくは、ミニマリズムはとても「おすすめ」できる考えだと思っている。だから興味のある人にはぜひ知ってもらいたい。人と比べたりせず、将来の不安にもおびえず、もっと自由に生きられると思うからだ。
今は全体を見ることが難しいから、ゾウだとわからないかもしれない。
だがいつか、ミニマリズムはひとつの常識になる。誤解と歓迎、炎上と流行を経て、やがてそうなる。
今なら「ゾウ」という生き物がいることは誰もが知っている常識だ。
そんなふうに、ミニマリズムは当たり前の価値観のひとつになっていくだろう。