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プレゼントというギャンブル
佐々木典士

人からもらったものが手放しづらいことは先日も書いたとおりです。

何かお祝いやお礼をしたいと思っても、その人が欲しいと思っているものをあげたい。

 

 

そんなときにはAmazonの「欲しいものリスト」は有効だと思います。恋人が店頭でずっと見ていたり、迷っていた「沈黙の欲しいものリスト」を察知するというオールドスクールも今も素敵だと思います。

 

イギリスやフランスのカップルも結婚するときに「欲しいものリスト」を作るそうです。

 

何を贈るかを迷う必要もなく、贈ればリストからは消されるのでかぶることもない、というのはとても合理的だと思います。日本だと、コップだらけ、ばらばらのタオルだらけになるとかあるあるですね。

 

ぼくもたま~にプレゼント欲が生まれます。

「このArc’teryxのワンピースを誰かにあげたい!!」

「この肉球だらけの手ぬぐい、猫好きの誰かにあげたい!!」

 

と思うのですが、プレゼントは95%ぐらい失敗するギャンブルだと思っているので、自制することが多いです。大抵は食品などの消え物か、実用的な図書カード、Amazonのギフトカードなどを差し上げます。そういえば、最近は実家のしゃもじに米がくっつきまくっていたので、最新のくっつかないしゃもじをあげましたね。

 

プレゼントが失敗する確率は高い。ミニマリストならばモノを選ぶポイントがいくつかあると思いますが、その条件を自分以上に知っていたり、部屋の空き容量まで正確にわかっている人は少ないはずだからです。

 

想像もしなかったプレゼント

 

プレゼントが成功したときにはギャンブルだけに見返りも大きいと思います。

その人が「欲しいものリスト」にも入れず、欲しいとも思っていなかったけれど、もらってみるとこれが必要だったとわかるもの。本人が似合うとは思っていなかったぴったりの品物。

 

「人々は実際にそれを見るまで、何が欲しいかなんてわからないものなんだ」

ジョブズがマーケティングに頼らず、独創的な商品を開発したことと同じようなものだと思います。

 

 

プレゼントの心得

 

人に贈り物をしたいという気持ちは素敵だと思います。

 

しかしいつか「あげたものがいつか手放されるのは当たり前」という文化ができるといい。

欲しいものリストに入っていたとしても、どんなに必要だったものも、いつかは必要でなくなります。

「あげたのだから、あとはあなたの自由。手放されたとしても、私の好意を踏みにじることではないことはわかっています」という心得が行き渡るといいですね。

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