佐々木さんの引っ越しを撮影したときに、「毎日キャンプするような気分で料理するとどんなだろう?」という会話をした。
キャンプだと炭火か簡易ガスコンロみたいなものだろうか。
私の家はキッチンがどかんとあるが、佐々木さんの家の場合はキッチンが通路にあるので、部屋で料理をしたら楽しい感じがした。
そして、調味料や器具は、キャンプ用にすれば少なくなるような気がしたが、いろいろ考えて、やはり無理があるという結論になった。
この二日間ほど、私の会社は休日なので、朝からのんびり過ごそうと思ったが、昼用に西京焼きを焼くにあたって、ガスを使わずに炭火でやってみようかと考えた。
キッチン用品をキャンプ用にしてミニマリズム化するのが可能か不可能かという議論は完全に語り尽くされたわけではないが、七輪だけで料理をする人はいる。
そして家には4、5年前に買って一度も使っていない、バーベキューの炭火焼きセットがある。
ベランダの押し入れからセットの箱を出し、封を開ける。
長いこと保管されていた炭火も取り出し、真新しく黒々とした炭を出す。
着火剤を使って炭に火をつけたが、すぐに焼ける温度にはならない。
気長に待つ。
待つが、火からは離れられない。
ベランダにピクニック用の敷物を敷いて、子供が自由に出入りできるようにして、今まで買ったキャンプ用の椅子などを設置した。
そうすると、なんとなくキャンプのあの雰囲気が出てくる。
ベランダなのに。
やはり、当然だが、魚の味は…
炭は少しずつ灰色になって、少し早いが魚を置く。
本格的に炭が熱を出すまで時間がかかる(慣れたら早い)ので、本を読んでじっくり待つ。
時々空を眺める。炭を見つめる。
キャンプやBBQは今までに何度もしたとは思うが、こうしてじっくりと炭を眺めるのは何年ぶりだろう。
今まで何度も口にしたはずの、「燃えている様子を見ているだけでいい」という感情が再び沸き起こる。
炭を眺め、本を読み、空を眺める。
要するに、「何もしていない」が、これは休日にしかできない。
時間がかかるのだ。
焼けないので何も口にしていないが、この時点で私の満足度は相当高い。
最近は遠くへ行って、大自然の中で椅子を置いて…と夢見ていたが、それと同じような満足度が、このベランダで起きている。
外に椅子、素晴らしい。
そして、炭で焼いているこの感じは、いろいろな感情が出てくる。
私は子供のころ、家族親戚で海辺の町に泊まりに行って海辺で海産物を焼いた思い出があるので、魚を焼いているとまず、懐かしい感じがするのだ。
今までのキャンプとBBQの体験も思い出す。
北海道の海、沖縄の海。
武蔵野公園や武蔵野中央公園のBBQ。
そして、ベランダで焼いた魚は、とんでもないほどに美味しかった。
美味しくて、網の上の魚を直接箸でつついて、娘と一緒に一気にたいらげた。
この美味しさは文章表現不可能なので、無理はしない。
ため息が本当に出るほど美味しい。
楽しかったので、夕方もやった。
空は夕暮れて、向こうの建物の壁がピンク色に染まる。
暗くなると、炭火の美しさは度を超える。
外出はしないが、空は見た。
その翌日の、つまり今日。
今日も炭火で魚を焼いた。
ネギを焼いた。
夕方。昼に焼いた魚を、外で食べた。
ちょうど目の前の空に、月。
雲はなく、ほぼ満月。
月を見ながらご飯を食べたのはいつぶりだろうと考えたが、その「いつ」が思い出せない。
この二日間、妻は仕事でほとんど家にいなく、娘と二人で家で過ごした。
ベランダから飛行機なんて見ることはないが、子供が好きなので気にしていたら、何度もマンションの真上を飛行機が飛ぶ。
焼いている間は、娘は一人おままごとセットで遊んでいる。家の中より、楽しそうだ。
大好きな車に乗らず、どこにも遠出しなかったが、とても満たされた二日間だった。
炭火を使うのは簡単ではない。
掃除も大変だ。
今後も定期的に何度もやるというわけにはいかないだろう。
ただ、外で「焼く」ことは楽しい。
だから、炭火が最高だが、電気のプレートでもいい。
外でリラックスして時間を過ごす(トランクスだが、近隣からは見えないようになっている)のがとにかくいい。
「GWはどこかにいかなきゃ」と家族としては思いがちだが、家も素晴らしかったのだ。
海と山は見えないが、空が見えるのは素晴らしい。
空は、素晴らしい。
と思った。そのチャンスを、増やしたい。
私の家が一軒家で屋上があったら、屋上にテントをはって、そこで家族で夜を過ごしたい。
横になれる椅子かハンモックで、星空を、眺めるのだ。
外出、遠出、旅行をする目的には、「空を眺める」ことが含まれているのだろうか。
旅行中に空を眺めるのは何気なさ過ぎて、「目的」にはなっていないが。