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疲れた体にマンハッタンヘンジ。             沼畑直樹

『最小限主義。』ではミニマリズムとあまり関係ない空と夕陽についてページを割いたが、そこでマンハッタンには夕陽が射し込むという件について触れた。それは、あの街が基盤の目であり、その先が川であるためだ。

紅くなった光は、忙しく生きるマンハッタンの人々に「お疲れ様」の合図をする。

当然、季節によって違うが、角度によってはぐっと中までその光は入り込んでくるのだ。

その角度が完璧になるとき。それが、12日の夕陽だったという。

マンハッタンの人々は、それを「マンハッタンヘンジ」と呼ぶらしく、さきほどニュースで知った。

年に2回、2018年は5月28日と7月12日だったということで、夕陽を眺めやすい通りもいくつかあるらしい。

 

 

引っ越しすることになった。最初は本意では無かったが、夕陽がみられる場所がたくさんあるので楽しみになってきている。

 

東京でありながら、眺めは田舎のような場所に行く。

今は商店街の中に家がある感じなので、だいぶ違う。

引っ越しの話ばかりしていると、都心に住んでいたころのことをよく思い出す。

それはまさに、素敵な街の条件。

片道一車線程度で、並木によって道のすべてが木陰になり、道は素敵なアパートに囲まれている。1階にはお店が並んでいる。

私が住んでいたところは、その条件をいくつか満たす程度だったが、十二分に素敵だった。

都市に、中心部に住むなら、「片道一車線程度で、並木によって道のすべてが木陰になり、道は素敵なアパートに囲まれている。1階にはお店が並んでいる。」風景がいいと、昔から思っていたわけではない。

 

昔、ストリートビュー散歩で見つけたパリの通り。この雰囲気がいいなと思って覚えていたが、上海のフランス租界もたしかにこんな雰囲気がある。

どちらもただ「なにか雰囲気がいい」と思っていたが、その理由は並木の作る木陰とアパルトマンにあると最近気づいた。

これこそが都会の暮らし。パリに多いが、NYやロンドン、アムステルダムといった他の都市に必ずしも多くあるわけではない。

チェコのプラハは建物の中庭に並木があるタイプだし、他の各都市も商業地は東京に比べておそろしく少なく、小さい。

また、都市開発が進むと道が広くなり、道を木陰で覆うことができない。

パリの並木はマロニエで、上海はプラタナスだが、プラタナスの場合はほんとに木陰が大きい。

空も夕陽も見えない。

日本人が大切とする日照もない。

極端にいえば森の中のようだ。

 

森の中といえば、ある家を見つけた。

一軒家を探して、南向きか、日当たりはどうかという条件を家族で大事にして探してるときに、娘の保育園の隣にある大きな木造一軒家がふと気になった。そこはある仕事で大成功を収めた人の事務所なのだが、黒い北欧風の家で、まわりは大きな木が囲んでいる。

だから、中は暗い。

南側に窓はほとんどない。

東京なのに、そこだけ森の中の別荘のようだ。

 

新しい家は南向きだが、1階なので今の4階の家ほど光は入ってこないだろう。

でも、あの木造の黒い家の発想からすると、陽が入ってこないのは、さして問題ではないと思うようになった。

むしろ、涼しくていいじゃないかと。(実際は南向き角地なので暑いと思う)

 

2階の窓は西向きだから西陽は入ってくるが、前に住んでいた都心のあの家に比べたら、たいした条件ではない。

細長いマンションの5階。リビングにある窓は西向きで、週末の夕方には部屋の中がオレンジに染まった。

家に居ながらにしての西陽体験だ。

 

日照については、いろいろ「欲しい条件」はあるが、西陽も木陰も南向きもと、贅沢な条件ばかり並べても仕方がない。

最終的には、窓のない箱ではないのだから、陽がたっぷり入ってきてもこなくても、木陰の中の家でも、なんでもいい。

自転車で少し走れば、夕陽の見える大きな公園がまわりにはたくさんある。

紅の染まったこの俺だけの、マンハッタンヘンジを見つけることができるはず。

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