アブラサスの「薄い財布 」の魅力。
今回が最後です。
薄い財布は左利きと、右利き用があり、お札とカードを取り出す方向が違う。そして財布を使う時は上向きに展開して広げて使う(そうでないと小銭がこぼれます)。
そして、右利きなら左手で財布を支え、右手でお札を数えたり、小銭を支払ったりする。つまりお金を払うときの「型」のようなものが決まっている。
「薄い財布」で支払うのには、慣れもあるけれど普通の財布よりはどうしても時間がかかる。これは不便と言っていいだろう。ぼくが前に使っていた大きな財布なら、なんでも乱暴に放り込めた。
時間がかかる→ダメではない。
時間がかかることは、一見不便でデメリットだ。「スマートな支払い」のみが大人のたしなみだとするならば。
だけど使っていくうちにそうじゃないことがわかった。この財布を使うためには「型」にのっとらなければならない。縦に開き、利き手で支払う。そしてあわててやっていては、小銭はこぼれ落ちてしまう。
「時間がかかる→ダメ」と考えればデメリットだけれど、「時間がかかる→丁寧に扱える」と考えると180度価値が変わってくる。
時間をかけて、丁寧にお金を数え、支払う、そして受け取る。
支払いの「型」が丁寧な「所作」のようになってくるのだ。
堅苦しいはずの「型」「所作」の魅力
沼畑さんと最近よく話していることがある。若い頃はその堅苦しさと息苦しさに中指を立てていた「型」、「所作」や「作法」、つまり丁寧さの魅力だ。
今でもあまりに形骸化し、本来の意味から離れた「型」や「作法」は好きではない。
だが「丁寧に」何かをすることは、「今」そして「この瞬間」に意識を向かわせ、集中して生きていくことだと気づいた。
モノを捨てることは、「今」に集中すること
モノをたくさん捨てていくと、「今」、「この瞬間」に集中できるようになると、ぼくは思っている。
モノを捨てることは
「いつか」使うかもという「未来」
「かつて」大事だったという「過去」と縁を切っていくことになるからだ。
過去も未来も本当はない。
永遠の「今」「この瞬間」が続いていくだけだ。
過去も未来も「経験」することはできない。経験できるのは「今」だけだ。
アインシュタインはこう言った。
「過去、現在、そして未来の間の区別は、いくら言い張っても単なる幻想にすぎない」
だから大事なのは「今」「この瞬間」しかない。というより「今」「この瞬間」しか存在しない。一見存在しているような過去や未来のために、眉間にシワを寄せるのはもったいないと思う。
財布の話から始まり、だいぶ話が大きくなりました。
日々の支払いの作業を通して、丁寧にすることを教えてくれる、そして丁寧さを通して「今」、「この瞬間」に気づかせてくれる財布。これがぼくが思ったこの財布の魅力だ。単に薄く、コンパクトなだけの財布ではなかった。薄くかさばらず、寄付がしやすく、丁寧さも学べる財布だった。
※上下に広げた財布を扱う作業は、さながら俳句を読んでいるようでもある……。
時間がかかるから、その間ぼくはゆっくりとした動作で、いままで「モノ」のように接してしまいがちだった店員さんとコミュニケーションをする。「小銭がちょうどありました」、「すみません、あと○○円出します」など細かいことでも伝える。
当たり前の「ありがとうございます」をたとえコンビニでも言うようにしている。
……今日はバスで降りるときに言えなかった。子供のようにお礼を言いたい。
モノを捨て、ミニマルにしていくと「今」に集中できるようになる。そして「人」との関係も変わっていくと思っている。「今」目の前にいる相手に集中するようになるからだ。
その話はまた書くことにしよう。
※カギも一緒につけた。iPhoneと財布だけポケットに入れて、手ぶらを楽しんでいる。万が一落としてもカギの音でわかりやすい。
※お札によって大きさが違うことにも気づかせてくれる。海外のようにもっと違いがあると嬉しいが、縦使いの財布はお金の量が把握しやすくなる。50円玉と100円玉の同じギザギザ……わかりづらいので、改善して頂きたいです。
アブラサス薄い財布 ブッテーロレザーエディション