埋め尽くさない。
沼畑直樹

 

小学校4年生のとき、シャープのX1というパソコンを買ってもらった。

たぶん、中古だから5万円くらい。

以来、プラミング言語でひらがなを作ったり(基本的にカタカナしか打てなかったため)、絵を描くツールを作ったりすることに没頭した。

PCにのめりこんだきっかけは、同級生の佐々木くんが富士通のFM-7というPCを持っていたことだった。

彼の家に泊まりにいき、「ザ・コックピット」というゲームをやった、あのとき。

今おもえば、「不完全なゲーム」たちとの出会いだった。

 

ゲームのグラフィックは、夜の空港のライトと計器だけ。

たぶん、昼の空港を描けるスキルがなかったから、ライトだけにしてみたのだと思う。

目的は綺麗に着陸するだけのゲームなんだけども、その楽しさは衝撃だった。

夢中になって、寝ずにやった。

後のファミコンのゲームよりもずっとシンプルで、楽しかった。

 

自分のPCのX1では、「ブラック・オニキス」というRPGにはまった。

でも、ドラクエとはまったく違うグラフィックだ。

あるのは自分たちの小さなキャラクターと小さな敵のグラフィックが左に固定されていて、右にダンジョンのシンプルな3D線画があるだけ。

音楽もない。

だけども、このゲームをやっている間、脳の想像力は爆発した。

 

自分は本当にダンジョンの中にいる気がしたし、貧相なグラフィックでも頭の中は自分の想像力で補完され完璧なビジョンになっている。

だから、他の誰のモノでもない、自分の経験になっていた。

ドラクエも楽しかった。想像力を使う余地はあった。

PCゲームのザナドゥもまだ良かった。

でも、だんだんグラフィックの進化するゲームに、ブラック・オニキスのような楽しみはなくなっていった。

自分の中でも、グラフィックの向上を求める欲求があった。

 

 

昨日の夜、あまりに温かくて、友人のアニメ監督とベランダで炭火をおこし、キャンプ用の椅子でまったりと飲んだ。

普段の彼は一日中絵を描いているけれども、休日には山に入り、人気のない場所を選んでビバークする癖のある人。

彼と「不完全」について話していたのだけれども、物語も一緒だなと思った。

すべてを語らず、観る人の想像力で完全にする。

制作サイドは、その余地をどう残すか。

昔のゲームにも、確かに想像力を使える余地があった。

作り手がそれをあえて用意したわけではない。

ゲーム創世記の、ほんの3、4年のことだった。

不完全なゲーム。

 

ミニマリズムでいう不完全とは、家ではスペースのことであり、個人では持ち物に置き換えられる。

想像力を生む部屋空間。埋め尽くさない空間。持たない自分の今と未来。

「何を想像するのだ」ということを説明しようとすると、野暮になったので書かない。

Fukanzen is future.

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この記事を書いた人

『最小限主義。』、写真集『ジヴェリ』『パールロード』他(Rem York Maash Haas名義)、旅ガイド『スロウリィクロアチア』他

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