作業ベースのしごと選び 佐々木典士

動画の編集にハマる

最近、動画の編集にハマった。

そもそも写真はずっと好きだった。動画はあまり撮っていなかったが、写真も動画もかなりシームレスに撮れるカメラを買い、動画熱が高まった。(このミニマルなSigmaというメーカーとそのカメラについてはまた別に話をしたい)

素材を撮る、テーマがうまく伝わる順番に並び替える、合いそうな音楽をつける。ちょうどいいタイミングのところを見計らって細かく動画を切り出す。その全ての作業が好きという感じ。なぜ今までやっていなかったのかという感じだ。

なぜ好きなのかと考えてみると、それはぼくが文章を書く方法と同じであるということに思い至った。何かを調べて素材を集めまくり、論理を構成するために順番に頭を捻り、何か合いそうな名言などを最後に差し込んだりする。ぼくが文章を書く方法は、そもそもが編集的だ。

業界と作業は別

でも、それでYouTubeやTikTokなどの動画業界が好きかと言われると、素直にはいと言えない。(いろいろなものをDIYをする時にYouTubeは見まくっている。DIYとYouTubeは最高の相性だ)。

業界は別に好きではないかもしれないけど、それにまつわる仕事は好き。好きだから、編集している作業中も時間を忘れるし、自然に学びたいと思う。映画もたくさん見てきているから、無意識に自分の中に培っているものもある。いくら後発で自分のスキルがまだまだだったとしても、これは仕事にできるかもしれないと思う。

ぼくは何かを説明するために、いろんな要素を秩序立てて、細かく並び替えたり、工夫する作業が好きなようだ。今後もし別の仕事をするとしても、その好きな作業をもとに仕事を選びたいと思う。

就職活動は作業ベースではない

就職活動をするようなときは、これとは反対の仕事の選び方をする。たとえばビールが好きだから、ビール会社に入る。車が好きだから、車の会社に入る。もしくは、その会社の業績がいいとか、その業界が今後盛り上がっていきそうだからという経営面や安心材料からの仕事の選び方。

ただ、ビールが好きなことと、ビールにまつわる仕事が好きなことは全然違うと思う。ビール会社に入っても、配属された部署が、経理なのか営業なのか広報なのかで作業の内容は変わってくる。車の会社に入っても、完成した車全体が好きなことと、電子部品を設計することは、近いようで遠い。ダイビングが好きなことと、それを人にわかりやすく教えることも、かなり近いようで違う作業に思う。

キャリアを重ねていくと、どの会社でも管理職、マネジメントをする仕事につくが、マネジメントの仕事が年を取ったら誰でも向くようになる、ということでは全然ないと思う。

もちろん仕事の経験が何もない状態で、自分が好きな作業で仕事選ぶのがいいと言われても途方にくれてしまうだろう。まずはどこかに配属されるなりして、何かのポジションを取り、経験してしまうことは必要だ。

しかし、もし自分の所属する会社は素晴らしく業績もいいし、給料もいいが、作業は自分とは合っていないという場合は、あまり幸せな状態ではないように思う。もし好きな作業に没頭して時間を忘れられるように過ごせるとしたら、仕事をする時間なんてあっという言う間に過ぎていくだろうし、仕事が苦痛でもないはずだ。

人が苦痛に感じ、自分が苦痛でないことが仕事になる

リメイクブランド「途中でやめる」の山下陽光さんは、ミシンを使って、布を縫い服を作ることが苦ではないと言う。他の人にとっては、服を作るなんて面倒なものだから、それはお金を払って誰かに任せたいものだ。何を苦痛だと思うかは人によって違うので、自分が比較的苦痛ではなく、人が苦痛に感じる作業、その落差が仕事になりうる。ぼくの編集的な執筆や、動画編集もそういうものなんだろうと思う、やりたくない人が大勢いるであろうことはわかる。

自分に向いている作業というのは、偶然与えられたものだから、たまたま今世の中に必要とされている仕事かどうかとか、これから伸びていきそうな業界かどうかとは一切関係がないと思う。もちろん両者が合致していたらラッキーかもしれないが、もし合致していなくとも好きな作業ができた方がその人にとっては幸福なのではないかと思う。

奔放に振る舞えることではなく、自分の本性に従うことが自由だと説いたスピノザとか、自分の本領を発揮することが徳だと説いたギリシャの哲学者たちも、もしかしたら同じことを言っているのではないか。

作業ベースの仕事選びへ

というようなことを、高松の書店ルヌガンガさんの読書会で話していたら、人材派遣の仕事をしている人が「作業ベースの仕事選び」という考え方がそういった業界でも少しずつ出てきているという話を聞いた。もちろん、まだまだメインの仕事の探し方ではないらしい。

仕事を選ぶときにはどうしても給料がどうとか、休みがどうとか当然考えるだろうし、それもまた重要なことだ。しかしそれをカッコに入れた上で好きな作業を考えてみることは今後より重要になってくると思う。好きな作業で没頭し時間を忘れられるなら、その対価や、社会的なステータスみたいなものもあまり気にしなくて済むように思う。

ミニマルなライフスタイルと同じで、これが私にぴったりだと実感できることは、いくら人と違っていてもとても心地の良いものだから。



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この記事を書いた人

作家/編集者。1979年生まれ。香川県出身。『BOMB!』、『STUDIO VOICE』、写真集&書籍編集者を経てフリーに。ミニマリスト本『ぼくたちに、もうモノは必要ない。』は25カ国語に翻訳。習慣本『ぼくたちは習慣で、できている。』(ワニブックス刊)は12ヶ国語へ翻訳。