お金=自由は本当か?
佐々木典士

「ぼく習」はおかげさまで好評で、韓国、台湾への翻訳も決まった。「ぼくモノ」の海外版も順調だ。なのでこれから身に余るお金が入ってくる。だからそれについて考えなければいけない。

 

ぼくの今の家賃は3万円(光熱費や駐車場代込)で、基本的に3食自炊なので食費も2万円ぐらい。あとは+税金関係が基本的な生活費。

 

美味しすぎるごちそうを毎日食べたいとは思わないし、(お酒をやめてからさらに、そういうものから遠のいた)いくらお金があっても粗食の方が健康的だと思っているのでそれを選ぶ。毎日が日曜日で、毎日が娯楽の楽しい日々が、楽しくもなんともないことは「ぼく習」にも書いた通りだ。

 

最近はなんと車が好きになってしまったが、ぼくはどれだけお金があってもミニマリズムの車を選ぶ。小排気量で、2シーターのオープンカーこそ至高だと思っている。購入を検討しているが、そんなに高いものじゃないし、何台も持って脳のメモリも喰いたくない。

 

家を大きくしたいとはもちろん全然思わないし、むしろ御免こうむりたい。素敵なモノにたくさん囲まれるのも嫌だ。

 

経験には、お金はいくらでも使える。旅も好きだし、留学にも行きたい。そういうものにはたくさん使うだろうが、毎日旅したとしたらただの日常になることはいろんな人が口にすることだ。どうしようもなく普通の日常があるからこそ旅も輝く。

 

お金はあって困るもんじゃないんだからとよく言われる。

お金があれば、選択肢が増すのだからたくさんあったほうがいいと言われる。

ドストエフスキーはお金のことを「鋳造された自由」だと言った。

確かにそうだ。

 

 

でも本当にそれだけだろうか?

もちろん、お金がなさすぎる状態はヒリヒリして苦しいものだし、選択肢が狭まれてしまう。

しかし、ありすぎることでも自由が失われることがあるのではないかと思う。

 

 

ぼくはギャラが2万円の原稿を書くのに、参考資料を読み込むこと3日+書くのに2日で5日かけたりすることはよくある。日給にすれば4,000円。時給にすると……?という感じだ。赤字のイベントにもよく登壇する。

 

しかし、それが自分のためになったり、意義を感じたり、何より楽しいと思えればこれからも喜んで引き受けたいと思う。

 

たくさん稼ぐようになると目が曇ることもある。たとえばボランティアのようなことをするときに、高給を稼ぐ人はいらだち「私の時給がいくらか知ってるの?」と言ったりするという。

 

自分のため、意義、楽しいという主観的なセンサーが狂っているので、客観的な金額でしか物事を見れなくなってしまっているということだ。その時、お金があることで自由は失われている。

 

食べるものはこのレベル以上でないと嫌、泊まるホテルにはこういう快適な設備がなくては嫌、そうして行ける場所、体験できることが狭まっていき、自由が失われていくこともあるだろう。

 

投資、場所作り、お金は使おうと思えばいくらでも使えるだろうがピンときていない。「ぼくモノ」の印税で、寄付もこれから一生しなくても怒られないぐらいにはした。おもしろそうな人がいたら、個人的に投資したりするのは楽しいかもと思うんだけど、それもやはりややこしいかもしれない。

 

老後のために取っておく? 確かに懸命だ。

しかしそういう行動もまた「リスクがある行動を取らない」という不自由な人格が生まれることにつながるだろう。

 

 

ぼくが欲しいのはただ、次の本を書くまでの生活費だ。

書くことは基本的にめんどくさいし、苦しい。お金だけで考えると本当に割に合わない。でもぼくは書くことを続けたいと思っている。

 

芸人が大御所になるとおもしろくなくなるのは、ネタを作るという、めんどくさく、苦しいことをしなくなるからではないかと思う。当然コンペ自体には参加しなくなり、審査員の側に回る。一丁上がりとなり、自分が評価される機会が失われれば緊張感もなくなるだろう。

 

本を書くというめんどくさく、苦しいことをするには、お金もあり余っているより、多少差し迫っていたほうがよい場合もあると思う。時間的な制約、締め切りがあったほうが書けるのと同じで、お金も減ってくれば重い腰を上げやすくなる。

 

「ぼくモノ」は会社を辞めて以降の海外版の印税のみ受け取っているが、それでよかったと思っている。お金がたくさんありすぎると、お金を払って楽しめる娯楽はたくさんあるし、苦しい仕事よりもそっちを選びたくなるもだろう。身に余る印税を受け取っていれば「ぼく習」はまだ出版されていなかったかもしれないと思ったりする。

 

お金を払えば提供される楽しい娯楽はたくさんあるが、欲は決して満たされることはない。もちろん物欲もそうだ。満たされない欲にハマってしまうとまた、自由は失われることになる。

 

ぼくが惹かれるのはお金ではなく、いつだって自由だ。

答えが出たわけではないが、自由が最大化されるようにお金と付き合いたいと思う。

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この記事を書いた人

作家/編集者。1979年生まれ。香川県出身。『BOMB!』、『STUDIO VOICE』、写真集&書籍編集者を経てフリーに。ミニマリスト本『ぼくたちに、もうモノは必要ない。』は25カ国語に翻訳。習慣本『ぼくたちは習慣で、できている。』(ワニブックス刊)は12ヶ国語へ翻訳。