たおやかな性愛
佐々木典士

肌の触れ合いや、充実したセックスをした後の満たされた気持ち。

 

それは他のものではなかなか代替できないと思う。VRのポルノメディアはこれからさらに進化していくと思うが、同じように再現するのは難しいだろう。

 

その満たされた気持ちは、感じてみて初めて「これが足りなかったんだ」と思うようなものだ。都会にずっといて、旅に出た時に広い空、樹木、清らかな水に触れた時に癒やされ「これが足りなかったんだ」と思うのと似ている。ないならないで過ごせてしまうのだが、気づかないうちにモヤモヤは溜まっていたりする。

 

友人が「ガタガタ言うのは三大欲求を満たしてからにしろ」と言っていたが、その通りだと思う。何かしらの不満、言いようのないモヤモヤがあるなら疑ってみるべき条件ではないだろうか。しっかり睡眠が取れていて、適切に食べていて、性も満たされている時に、他人にとやかく言いたい気持ちにはならない。

 

今までセックスは、恋愛中の恋人とするもの、結婚したパートナーとするもの、という考え方が少なくとも社会通念上はメインだったが、もはや考え直さざるを得なくなっているのではないか?

 

未婚の人は増えているし、結婚してセックスレスになる人が多いし、離婚も増えている。ぼくは未婚でも、結婚していても、シングルマザー、ファザーでもそれぞれの立場で望むならセックスできる環境はあったほうがいいと思うし、性は適切に満たされていた方がよいと思っている。

 

しかし、性愛の問題は難しい。欲求はどれだけ満たしても満足できず膨張してくこともあるし、犯罪や搾取の問題もある。お金やモノへの欲求と同じだ。仏道の修行などは欲求を遠ざける方法だと思うが、ぼくはもう少し自然に適切に欲求を満たせないものかと思っている。ミニマリストが適切に自分の物欲と向き合っているようなものかもしれない。

 

古い考え方は打ち捨て、より開かれたパートナーシップがいいのかと言えば、簡単に言えない気がする。嫉妬の問題もある。しかし、嫉妬されるような価値のあるものだからこそ、得た時に喜びもあるのではないだろうか。嫉妬はおそらく価値の源泉だ。人から望まれない人はどうすればいいのかという問題だってあるだろう。

 

考えるべき問題はたくさんあるが、性愛の問題は、今興味があるテーマだ。どうやってこれからのセックスを確保していくのか。次の本のテーマになるかもしれない。とりあえず言えるのは、もっとたおやかな性愛の形があっていいのではないかということだ。汚くもなく、きれいでもない。しかしより成熟した形があるのではないだろうか。

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この記事を書いた人

作家/編集者。1979年生まれ。香川県出身。『BOMB!』、『STUDIO VOICE』、写真集&書籍編集者を経てフリーに。ミニマリスト本『ぼくたちに、もうモノは必要ない。』は25カ国語に翻訳。習慣本『ぼくたちは習慣で、できている。』(ワニブックス刊)は12ヶ国語へ翻訳。