能力のマキシマリスト 佐々木典士

ただの物が少ない人?

都会のミニマリスト暮らしを経た後の、ぼくの課題はこうだった。

「できるだけ自分で多くのことができるようになりたい」

後になって、色々な人が指摘するようになったが、都会のミニマリスト暮らしは生活の多くのことを他者に依存している。現代人のほとんどがそうだと思うが、住んでいる家は誰かが建てたもの、着ている服も、食べ物もお金を払って手に入れている。

生活は快適そのものだったが、次第に消費だけする人としてその快適さが成り立っていると思うと、飽き足らなくなってきた。消費から生産へ、そんな方向性を意識していた。

そうして物理的にも精神的にも身軽になった2016年頃から、全国各地の様々なコミュニティに足を運ぶようになる。自然農やパーマカルチャーを実践している人、セルフビルドで住まいを作っている人、仲間たちとシェアハウスで自給自足に近いような暮らしをしている人、狩猟に携わる人たち。そうした人たちはかっこよく眩しかった。

本を出して売れ、メディアにもたくさん出ていたが、そんな人たちと交わっていると「持ち物少ないんだ、へ~」というだけの存在だと感じた。もっと、生きる上で基本的な衣食住を自らの手に取り戻したかった。自分でできることを増やしたかった。

そういう思いからできるようになったことはたくさんある。
生来、興味関心が雑多な方だ。いつかできたらやろうと思っていた、キャンプや登山、ダイビングなどのアウトドア。京都の端っこに移住してからは、車の必要性に駆られ18年ぶりぐらいに運転を始めた。そうしたら車が大好きになって、大型バイクの免許までも取ってしまった。適当だが野菜を作ってみたり、基本的な木工もできるようになった。その時点で、もうひ弱なだけのミニマリストではなくなったかもしれない。

次から次へターゲットを潰す

2冊めの本は習慣をテーマに選んだ。京都では一人暮らしだったし、まわりに友人も誰もいない場所を選んだ。時間割を作り、その時間に沿って行動していた。書くことを仕事にするまで、随分と回り道をしてきてしまったという実感があった。書くことを仕事にし続けるなら、毎日毎日研鑽することが必要。今から見ると肩に力が入っていたと思う。

習慣に真摯に取り組んで、良かったこともたくさんある。善悪というのは組み合わせ。ぼくとは相性が悪かったお酒をやめたのは良かった。早起きしたり、運動やストレッチの習慣がきちんとできたのも、今も本当に良かったと思っている。おかげさまで今もとても健康で元気だ。

次のターゲットは英語になった。英語で本の感想メールがたくさん来る。海外に講演で呼ばれたり、英語での取材もある。せめて簡単な会話ぐらいはできるようになりたい。

2019年からフィリピンへ留学し、とても気に入ったのでそのまま住むことになった。最初にフィリピンへ旅立った時の英語力はひどいものだったと思う。空港で係員に「this ticket…」と言うのさえ、とても緊張したのを覚えている。声もむちゃくちゃ小さかったはずだ。

勉強は今も続けている。はっきり言って全然満足できてないし、語学のセンスもないなと思うが、海外旅行ぐらいでは困らなくなった。試しに受けてみたTOEICでも良い点が取れた。

「物より経験」も合言葉だった。「経験は盗めない」ので、さまざまな場所を旅し、やってみたことのないことを体験するようにした。

本は全然出せていないが、その時々で自分の課題に向き合ってきた。その中で身につき本当に良かったと思えるものがたくさんある。もう充分満足できるぐらい、さまざまな経験をし、各地も旅したことも良かった。突然人生が終わったとしても後悔はないと思えた。

欠けているからつながれる

ミニマリストを経て、経験や、能力の最大化、マキシマリストを目指してしまっていたという言い方はできると思う。なんでも自分でできてしまう人。

臼井健二さんが「欠けているからつながれる」とおっしゃっていたことを度々思い出す。本当に自分でなんでもできるようになったら、誰ともつながる必要がなくなる。臼井さんは自らの手で生活を作られている方だが、自給自足を目指しているわけではないともおっしゃっていた。完全に自給自足してしまったら、きっと誰も必要としなくなるから。

何でも自分でやってみることは、今も大切なことだと思っている。現代人はとにかくお金で不安になりがちだが、それはできることがせいぜい自分が専門の仕事ぐらいで、その他のことは仕事で稼いだお金を払って解決しているからだ。何をするにもお金がかかると思えば、誰だって不安になってしまう。

ただ「何でも自分でやってみる」ことと「ひとりで全部やろうとすること」は違う。ぼくは前者を実践しようとして、後者もまた推し進めてしまってきた気がする。

能力のマキシマリストが人と繋がれないかといえば、そうではないとも思う。身につけてきた能力を使って、その能力が欠けている人を埋め、つながることもまたできるから。

もともとの自分のミニマリズムの思想が
「あなたに欠けているものなんて何一つない」
「あなたはすべてを持っている」

ということだったことも改めて思い出している。

ぼくはひ弱なミニマリストだったかもしれないが、確かに欠けているものなんてなかったかもしれない。もし、欠けていたとしたって、きっと誰かが埋めてくれていたのだろうと思う。

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この記事を書いた人

作家/編集者。1979年生まれ。香川県出身。『BOMB!』、『STUDIO VOICE』、写真集&書籍編集者を経てフリーに。ミニマリスト本『ぼくたちに、もうモノは必要ない。』は25カ国語に翻訳。習慣本『ぼくたちは習慣で、できている。』(ワニブックス刊)は12ヶ国語へ翻訳。