レビュー社会の先にあるもの 佐々木典士

bot化するメルカリ

メルカリでやり取りをしていると、ほとんどの取引がとてもスムーズに進む。

みなさん礼儀正しく、知らない相手だが安心して取引できる。
「短い間ですが、よろしくお願いいたします」「ご購入ありがとうございます」「発送まで少々お待ち下さい」。丁寧で過不足がない、しかしあまりにテンプレートすぎるメッセージをやり取りしていると、相手がただ同じ言葉を吐き続けるbotかチャットAIのように思えてくる。これが最初に感じた違和感だった。

メルカリでは以前まで、評価は3択だったのだが2択に変わった。(「良い」「普通」「悪い」の3択から、「良かった」「悪かった」の2択になった。さらに「良かった」がデフォルトとして選択されている)。悪い評価は結構思いきらないとつけられるものではなく、少々の瑕疵ならば「良い」でいいかと思える。

そうしてみんなが保持している評価は以前よりも高くなったように思う。24時間以内に発送している出品者には「スピード発送バッジ」まで与えられる。そうして出品者の行為も以前よりもきちんとしてきているように思う。

高評価の不自由

こういった評価の高さというのは良いものに思える反面、それに行動の方が縛られるということもある。自分の評価を下げたくないから、きちんと梱包し早く発送する。スピード発送バッジを剥奪されたくなければ、とにかく早く発送しなければならない。ミシュランで星を与えられたレストランは相当な重圧がかかるというが、同じような話が個人にも降り掛かってきているのかもしれない。

人間だから、今回は大体で梱包したい。ちょっとコンビニに行く予定もないから発送はまた後日にしたい、というときはあるはずだ。しかし、評価の維持が気にかかるとそれに心や行動の方を合わせてしまう。自分が持っている評価が、まるで上司のような存在になる。

「コスパ」の強迫観念

飲食店やホテルを選ぶときに、自分もよくレビューを参照する。星が4つあるカフェやホテルは確かに満足度が高い。しかしそれはすでに定まっている評価を追認するような感じでおもしろくないことはよくある。期待したものが期待したとおりに出てきて満足する。食べログの評価3の店が自分にとっては最高のお店になったり、ロクなAmazonレビューがない本が自分の愛読書になった時に比べたら嬉しくはない。

期待したものを期待した通りに受け取りたいというのは「コスパ」という考え方が脊髄まで染みわたってしまった結果だと思う。払ったものに対して、同じかそれ以上の報酬が必ず欲しいという脅迫観念。
「これで1000円は安い!」という評判のランチを食べに行けば、その通りの体験が得られる。レビューがなければただ立地が良かっただけで、接客も良くなく不味いランチを不相応のお金を出して食べなければいけないかもしれない。

レビューの評価が高い店は、なおさら流行り、悪い店は淘汰されていく。こうしてレビューというのは自然と新自由主義的な価値観に近くなっている。レビューが参照できない時代なら、もう50m歩けば名店に出会えたのに、歩くのも疲れ、適当なところで妥協して入った店で不味い飯を食べさせられるという悲しい経験もあっただろう。しかし代わりに、理由はどうあれがんばれないお店にもお金が落ちるということが起きていたはずだ。すでに悪いレビューがついてしまっているせいで挽回のチャンスすら奪われることもあるだろう。

すべてそつがない世界

レビューシステムはこれからも勢力を拡大しそうだ。メルカリの出品者がきちんとした人ばかりになったように、気がつくとどこに行っても評価4以上の飲食店だらけになるかもしれない。メニュー、接客の声がけ、雰囲気、高評価されるレビューの価値観が幅広く共有化され、それをなぞった店だらけになるかもしれない。

しかし、すべてそつがない世界はディストピアだと思う。ここまで書いて、気になっていたNetflix『ブラック・ミラー』の「ランク社会」(3シーズン第1エピソード)を見たら、今の自分の危惧が完璧に映像化されていた。

その未来はこんな設定になっている。あらゆる人の瞳には薄い装置が埋め込まれている。外すことのないコンタクトのようなものだ。その装置を通して他人を見ると、画像認識で名前もわかるし、その人の評価もわかる。(☆4.2というように☆5点が満点)やろうと思えば、現状でも近いことがすぐできそうな仕組みがリアルだ。

他人が羨むような豪華さではないが堅実に暮らす主人公のまわりは、ぼくが危惧したように、大体4点の人ばかりになっている。なぜならエレベーターで交わす挨拶や、タクシーに乗った時の乗車態度など生活のすべての行為が終わった後にスマホで評価されるから。メルカリの相互評価システムが、あらゆる日常で行われていると考えてみればいい。

人は思ってもいないようなお世辞を言い合ったり、感じよく接することに努め、☆5を互いに送り合う。☆の評価は社会のすべての基準となっていて、評価が高ければ家賃の割引を受けたり、優先レーンでサービスが受けられたりする。

見るだけでその人の評価がわかるので、初対面の人の評価もすぐにわかる。(物語の途中で☆が落ちてしまった主人公がヒッチハイクをするのだが、危険な人物だと見なされて乗せてもらない)

危険で信用できない人物がすぐにわかる極めて安全な社会。付き合うべき評価の高い人間がすぐにわかる社会。自分の内面や感情は置いておいて、とにかく感じよくしなければいけない社会。これは完全なディストピアだ。

この記事を書いた人

作家/編集者。1979年生まれ。香川県出身。『BOMB!』、『STUDIO VOICE』、写真集&書籍編集者を経てフリーに。ミニマリスト本『ぼくたちに、もうモノは必要ない。』は25カ国語に翻訳。習慣本『ぼくたちは習慣で、できている。』(ワニブックス刊)は12ヶ国語へ翻訳。