「地球時間」で生きていた。  沼畑直樹

子どもが保育園にいたころは夕方に少し時間があったけれども、小学校に上がると夕方はあまり時間がない。夕食の準備や、子どもの宿題の手伝いなど、家の中にいることが多い。

唯一、月曜日は習い事で1時間ほど夕方に時間が空く。すると、たまにバイクで外に出る。

先日、たまたま近所のあるエリアに迷い込んだ。

そこは、崖の上に位置する小さいエリアで、他の地域と少し分けられているような場所になっている。おかげで、畑が多く、牧歌的な風景が広がっているレアな場所。

東京は西へ行けば行くほど自然が多くなるけれども、ここらへんは住宅街ばかりなので、本当に珍しい。

そして、そこで夕焼けの下、路地で遊ぶ子どもたちがいた。

それを見て、ぶわっと思い出したのが、沖縄の風景。

久米島という離島で、サンダルで歩いていた風景や人々。

家のまわりで、ラフな格好でくつろいでいた、島民や自分。

東南アジアでは男の人は上半身裸で歩いてたりする、あの感じ。

この感覚はなんだろうなぁと考えていた。

包み込まれるような安心感。

自分の家のまわりもかなり田舎感のある住宅街だけども、そこまでラフには歩けない。

一応、普通に服を着て、だらだら散歩とかもしない。

いつのまにか、この感じに慣れてしまっている。

迷い込んだエリアは、他の人たちが入りにくい行き止まりのような場所のせいか、ちゃんとした格好で外に出る必要がないような雰囲気がある。身内の場所。たぶん、大きい道路とかがあると消滅してしまうもの。

沖縄の離島、久米島で過ごしていたとき、毎日がキャンプみたいな日常で、正直、正装の場所もオシャレをする場所もなかった。

みんなサンダルでTシャツで、そんな格好でも、外にどんどん出て、人と会おうとしていた。

そんな風にいつもラフに、おじいさんになるまで生きていたいと思った。

ホテルの支配人でありながら、漁師でもあった自由人の上司は、いつもシフトの交代に遅れてきて俺の怒りを買っていたけれど、理想の生き方としても眺めていた。

こうゆうふうに生きていいのだと思った。

「永遠」という感じがした。みんな、ずっとこういう感じで、島では生きて行くのだという「永遠」。

こちら、東京では、「仕事」とか、「仕事」とか、「仕事」とかで、「永遠」感はまったくない。

「いつか終わる」「生き方を変える」「引っ越す」とか、そういう感覚の方が強い。

住民同士の挨拶が面倒とか、道路族が迷惑だとか、公園の子どもの声がうるさいとか、そういうネガティブ要素も溢れている。

人間中心なのだ。

地球が回転するという永遠?

そういえば、ランボーの言ってた「永遠」ってこれなんだろうか?

よくわからなかったけれど、かっこいいから持っていたランボーの詩集『地獄の季節』。

10代の心には、なんだかわからないものが突き刺ささる。

気になってちょっとネットで調べてみたけれど、やっぱりよくわからない。

ただ、夕陽の写真とともに、あの本に載っていた詩の一部はよく覚えている。

また見つかった!
何が? 永遠が。
それは、海。溶け合うのは、
   太陽。

ここだけ読めば、久米島の海のことを言っているように、自分には読める。

たぶん、自然と共に生きるという意味合いがもっと強くなったときに、感じる「永遠」。

あのときの自分には、島の人々自体が、生き方が自然と同化しているように、見えていたのかもしれない。

もしかすると昔の農民たちは、毎日繰り返される夕陽や畑仕事のルーティンに、「永遠」を感じていたのか。

それは現代だと、都市の仕事か、農業か漁業かで決まってしまうのか。それとも、単に季節や夕暮れといった、地球のルーティンを感じられる環境にいるかどうかなのか。

後者なら、時には静かに佇んで、地球を見つめるような行動が必要ということか。

たとえばランニングをしてても、時々足を止めて、空や海を眺めるとか。

腕時計を捨てて、旅に出よう?

今、自分がラフな格好で夕方に佇まないのは、一に寒いから。二に花粉が凄いから。というのもある。

5月になると赤い虫が家の前のアスファルトを歩きだすし、それが終わると梅雨が来て、次に暑くなって、すぐ寒くなって、と、言い訳がましいことも言える。

沖縄の離島には花粉はないし、ずっと暖かいから、外にいる時間も長くなる。夏は日照時間も長く、日の入りは遅い。

それに、沖縄にいたときは気づかなかったけど、沖縄にはあまりスギがなかった。本土からも遠いから、飛んでこない。ちなみに、北海道にもスギはあまりないらしい。

そして、子どもは、花粉症に強い。いつまでも外で遊べる。

ドラマ『ブラッシュアップライフ』も終盤になって、小学生時代の登下校の風景が切なくなってきた。

友達とだらだら帰ったり、遊んだりするのは、本当に大切なことなのだと、あのドラマは切実に伝えてくるから凄い。

近所で子どもたちが遊んでいた風景とも重なった。

そんなことを考えていると、娘にも放課後は外で友達と思う存分遊んでほしいと思った。

3年生になってからは、習い事や宿題で放課後は家にいることが多い。

なので昨日は、娘が帰ってくるのを途中まで迎えに行き、友達が遊んでいる公園にそのまま行けるようにランドセルを回収しに行った。

暗くなるまで1時間もない。

本当は目がかゆくなるから少しでも家にいたいけれど、「遊びに行っていいよ」と伝えると喜んでいたので良かった。

ありがたいことに、まだ娘は花粉症になっていない。

暗くなるまで遊べばいい。

考えてみると、自分の「暗くなるまで遊んだ」思い出は、腕時計を持ってなかったころの思い出だ。

サーフィンをやっていたときも、地球時間で生きていた。

なるほど、そう考えると、解せることがひとつある。

久米島の上司が時間を守らなかったのは、地球時間で生きていたからだった(副業が漁師だし)。

あのときは腹が立ったけど、許すことにしよう。

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この記事を書いた人

『最小限主義。』、写真集『ジヴェリ』『パールロード』他(Rem York Maash Haas名義)、旅ガイド『スロウリィクロアチア』他

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