期待しすぎるのをやめよう。芸能人やプロスポーツに対する私たちの考え方。  沼畑直樹

今の暮らしが何かの原因で終わってしまったら。とか、自分のやっている何かが失敗してしまったら…とか。

たいていの人は不安を抱えている。

そんなときに、それは誰に対して思っているのか、誰にどう見られるのが怖くてそう思っているのか、考えてみると、自分の場合はとても小さな人間関係に留まる。

一戸建てに住むとご近所付き合いがあるけれども、そうゆう世間。

友人との世間。

仕事関係の世間。

いずれにおいても、私の場合は狭く小さな世間で生きているので、私がどうなろうと世間に何の影響もない。

でも、それがもし、大企業に勤めていたら…と考えると、世間の人数はぐっと増えて、評判とか期待とか、いろいろあるだろうなと思う。「会社辞めます」というのは、まだまだ勇気がいるだろうし、どんな噂が流れるかわからない。

有名人、プロの世界はもっと大きいかもしれない。

有名スポーツ選手、インフルエンサー、有名作家、芸能人。

「自分のことを知っている人がたくさん存在する世間」に囲まれて暮らしている人たち。

「その数が多いほど、人は不安を抱える」

と、ハイデガーを筆頭に哲学者たちはずっと昔から言っていて、それは、「人気ものにはなるな」という意味でもあると思う。

つまり、ハイデガーからすると、「ずっと成功者でいたい。人気者でいたい」と思えば思うほど、不安は高まっていくのだ。

だから、突然引退して一般人になりたいという有名人の行動は、メンタル的には非常に健康的だといえる。

自分のやりたいことをやる。

ミニマリストという言葉が世間に知られた2015、2016年ごろ、こういうブログで再生回数のことを考えたり、SNSでフォロワーを増やすこと自体がどうなのかという話があった。

「○○さんがブログを閉じた」

なんて話も耳に入ってきて、なるほどなーと思ったりした。

世間から離れて、隠遁するように生きることに憧れるのは、十代の頃から同じ。

西行や良寛の影響は色濃い。

そのころからツイッターもインスタも更新はほぼしないで、インスタは1年前から友人に教えていないバイクアカウントを作って楽しんでいる。

誰からも何の期待もないので、ただ楽しい。

でももし、人気Youtuberがフォロワーという見えない人々の期待に応えようとして、自らの行動を定めていくのを、ハイデガーが見たらどう思うだろう。彼が批判した、世人という世間に縛られる生き方とは、まさにこのことだろうか。

有名になると不安は増していく。

そうやって、芸能人やプロスポーツ選手が抱えるメンタルの問題を、Youtuberも知ることになる。

このブログも同じだ。

読んでいる人がいると思ったときに、マーケティング的に書いていくと、そのうち書くことはなくなっていく。本当に書きたいことじゃないからだ。

私個人としては、ミニマリスト、ミニマリズムは極私的な行動から始まっていて、世間とは関係なく、自分が思っていることを書いてきた。

自分の小さい世界で完結するミニマリストの話を書く。

世間からずれていても、関係ない。

なので、やめるもやめないもない。

音楽、スポーツ、芸能といったプロが存在するものも、自分のためにやればいいと思う。

「ずっとランキング1位でいないと駄目だ」という期待は強すぎる。

じゃあプロという世界が通用しないというのなら、そうなのかもしれない。

プロとアマチュアの世界があるという理由で、やりたいことをやらない人も多い。

大会で1位になれなかったからやめた。売上が落ちたから廃刊にした。編集者が駄目といったから書かなかった。

歌手になれなかったら歌うのやめた。

そうやって世間のせいにせずに、やりたいことをやる世界がいい。

人気があるとかないとか、そういうのはどうでもいい。

いつだって辞めていい。

小さい世間で生きることは、精神には開放的で、問題がない。

そんな話を妻としていたけれど、田舎の小さい集落でも、濃い人間関係だったらどうだろう? と思ったりもした。

都会だと人口は多いけど関係性は希薄。

久米島という離島での経験から言うと、濃くてもあまり問題なかったと言える。

喧嘩とかよくしたけれど、それはそれで人間的だったと思える。

これが、「かつて有名人だった人の田舎暮らし」になったときの、世間の目は冷たい。

その冷たい視線を、もうやめにしたい。

「あの人は今?」的なものを見て、田舎暮らしをしている人にネガティブな感情を持ったら、こう考えてほしい。

「精神的に健全すぎる!」

多くの人に見られる人生から、見られない人生を求めたのだ。やりたいことをやろうと。

芸能人は、芸能界をやめること、職種を変えることにどうかネガティブに思わないでほしい。

人気があってもどんどん変えていい。そのためには、引退することを失敗のように捉える私たちの考え方を改めなくてはいけない。

スポーツ選手も、特にオリンピックでは期待に応えようという思いが強くなるけれど、いつでも引退していい。

自分のためのスポーツをしていい。

北京オリンピックでは、金メダルだけじゃない、素晴らしいパフォーマンスをみんなで称え合うという選手たちの発信があった。競い合うから見ていて楽しいのは間違いないけれど、過度に金メダルの数を競うことについては、考え直す時期に来ているのかもしれない。

とはいえ、大谷にホームランたくさん打って欲しい自分がいるのだから、簡単なことではない。

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この記事を書いた人

『最小限主義。』、写真集『ジヴェリ』『パールロード』他(Rem York Maash Haas名義)、旅ガイド『スロウリィクロアチア』他

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