エンプティ・スペース 019 コロナ渦の今、カーテンを開ける 沼畑直樹 Empty Space Naoki Numahata

ロードスターというオープンカーを借りて、広く見晴らしのいい道に駐めた。

そこは車の行き交う幹線道路ではなく、ほとんど車の通らない道。

幌を全開にして、街路樹や広い公園の風景を眺める。

走りが楽しい車だけども、走らない。

借りるのは午前中だけ。ここでゆっくり、秋の風景を楽しむ。

それも、モーターライフの一種だ。

車もバイクも走ることが目的だけども、佇むことも目的になっていい。

森の中に入り、バンの後ろを開けてピクニックをする。

バイクで峰沿いの道を走り、眺望所でバイクにまたがったまま放心する。

小さなオープンカーコペンで星空を見にいく。

座り心地のいい椅子、車内は余計なものは置かない。

外の風景が借景になり、いつでも場所を変えられる。

ミニマリズムという言葉を知ったころ、ホテルの寝室やテントという、自分の部屋や好きなモノから隔離された空間に心地よさについて学んだが、要するにそういうライフスタイルがあれば、家や部屋なんてどうでもいい。部屋にモノが溢れていても、キャンプが好きで月に何度かテントで過ごすというスタイル。ホテルの空間が好きで、たまにホテルで過ごすというスタイル。多拠点生活。別荘生活。なんでもいい。自分のモノがない空間が好きなミニマリストだ。

車もバイクも同様で、さっとバイクで出かければ、持てるものは少ない。

自分の部屋もしくは家の中の空間をミニマル化し、持ち物を減らすことにこだわっていた時期があったけれども、外に出て過ごすこと自体が、遮断でありリトリートであり、ミニマリズムのようだ。

車を借りたのは、のんびりしたい以外にも理由がある。

視力回復だ。

最近はコロナのせいなのか、自分のせいなのか、iPhoneばかり見つめていて、目が悪くなってきた(それが老眼のはじまりだと認めるのはもう少し先にしたい)

意識しなければ、車を駐めたあともiPhoneで何か見ようとする。

駄目だ。

iPhoneを置いて、外を眺める。

そんな風に意識的に動かなければ、目はどんどん悪くなるだろう。

4月ごろの自粛期間は、散歩も控えていたから、7歳の娘も含めて、遠くにあるものを見る習慣がなくなっていた。

家の中にあるもので「遠く」には限界があるから、二階の窓からちょっと向こうにある木や雲を眺めてと言うしかない。

娘は素直にやってくれるが、申し訳ない気にもなってくる。

仕方ないので、車で少し走って、遠くのものを見つけようと提案した。自分以上にコロナを恐れている娘は嫌がったが、下りなければいいという条件で外へ出た。

車で走って10分15分程度で、次々と遠くのものを見つける。

富士山や丘、多摩川、目にいいものばかり。

実は、今は基本的には視力に問題ない私だが、10代の後半、今回のように視力の低下を感じることがあった。原因はわからないが、室内に閉じこもって絵を描いていたからかもしれない。セガサターンのゲームをやり過ぎたのかもしれない。だが、サーフィンをやるようになって、劇的に視力が回復した。

理由はサバンナに生きる人と同じだ。

サーフィンとは実に待ち時間が長く、波がないときはただひたすら水平線の向こうを眺めている。

それが良かったらしい。

以来、カーテンを閉めた室内よりも外で遠くのものを眺めるように気をつけていたが、住宅街の一戸建ての家は比較的、カーテンを閉めることが多いんじゃないかと思う。

マンションなら高層階はカーテンを閉めなくてもいいときがあるし、中層階もベランダやテラスが充実している。一方、一戸建ての1階はカーテンを閉めないと住民たちに覗かれてしまう…と思ったが、塀のある家なら開けることもできるのだろう。自分の家はできない…。

まだ誰も道に出ていない早朝に、ときどき大きな公園沿いの道を散歩したり、車をとめてのんびりするのは、カーテンの必要がないからなのかもしれない。車の窓にカーテンはないし、幌を開けるのはカーテンを開けるようなものだ。

家ではカーテンをして自分を守るのに、外では隠さない。

隠さずに、外を眺めることができる。

だけども、日本ではオープンカーを買っても、恥ずかしいからと、幌を開けない人が多い。

ある曇りの日の早朝。いつも以上に路には人も車も少ない。

どこか隔離されたような神秘的な屋外で、緑を眺めてのんびりしていると、やっと1台、向こうから黄色い車が来た。

幌を開けた、オープンカーのコペン。

きっとその人も、誰も起きていない時間を狙って、路に出ているのだ。

幌を開けること。カーテンを開くこと。

時に難しい。

人と会わずに、一緒に食事せずに、寒いのに窓を開けしめして、旅行もせずに。

時に難しい。

今週末の東京、たしか土曜日の夕景と、少し冠雪した富士山は本当に見事で、雪もまだ多くないから、その下にいくにつれ消えていく儚い感じをしばらく眺めていたので、目は良くなったかもしれない。眺めていると、橋の上を行き交う人が足を止める。

なんとなく時間を共有する。

カーテンを閉めて自分だけの空間を作り遮断したいのか、それともカーテンを開けたいのか、もうわからなくなってくる。

そんな2020年の秋。

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この記事を書いた人

『最小限主義。』、写真集『ジヴェリ』『パールロード』他(Rem York Maash Haas名義)、旅ガイド『スロウリィクロアチア』他

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