pha『夜のこと』〜粘土のすること〜 佐々木典士

おっぱいというのは、見てるとすごくさわりたくなるのに、実際にさわると二分ぐらいで飽きてしまう。
『Ⅱ』

 Phaさんの書くものの魅力は、簡素な文体でみんながどこかで認識してはいるがはっきりと口に出してはいないようことをあっけらかんと言い当ててしまうところにあると思う。文章を書くと、つい結晶化させてキレイにしてしまったり、実際よりも大きく見せてしまいそうになる。こんなことを言うと評判もよくないだろうと思わず隠したくなったりもする。それがない。ありのままの事実がそこかしこに散らばっている。そういうところが魅力だ。

phaさんとぼくの状況はよく似ている。ぼくも41歳になり性欲は次第に落ち、それに伴って恋愛へ突き動かされる気持ちが減っている気がする。結婚したりしたいわけでもない。でも女の子は好きになるし、セックスもたまにはしたい。するといわゆる普通の恋愛とか結婚とか呼ばれているものとは形が違って、名前がつけづらいものになる。

僕みたいな自分勝手な人間は、誰かのパートナーになるよりも、他にパートナーがいる女性とたまに会うくらいがちょうどいいのだ。
『女友達』

ぼくもここのところまったく同じような感じだ。この『夜のこと』にはそういう名前のない性愛のエピソードがたくさん書かれている。

恋愛は人を盲目に愚かにさせるけれども、高揚感がある。ぼくは好きな人ができると、自分の見た景色を共有したくなって撮った写真なぞ送ってしまう。コーネリアスの『あなたがいるなら』という曲で「あなたがいるならこの世はまだましだな」という歌詞があるが、本当にそういう気になってくる。そのときだけは、自分がなんだかキレイで美しいものの一端に巻き込まれているような気持ちになる。

最近『海の上のピアニスト』がリマスタリングされたので見に行った。主人公のピアニスト1900は、録音中に初めて人に恋に落ちる。そしてその気持ちがそのまま音楽として記録されるシーンは素敵だ。こんな風に人が恋に落ちることは美しい気がするけれども、その先にあるセックスは身も蓋もないところもある。

それは「一度すると、しばらくはいいや、と思うのだけど、二か月くらいするとまたしたくなって来てしまう。えげつなくて滑稽な、不思議な遊び」だ。

あおむけに横たわった僕の体の上に、すごく苦しそうな顔をしながら体を上下に動かし続けている裸の女性が乗っかっている。
僕は彼女の体を若干醒めた目で見上げながら、こんなすごいことをやってるのは世界で自分たちだけのような気がするけど、実はみんなやってるんだよな、などと考えている。
『新しい遊び』

24時間誰かの生活を記録したとしたら、それを見た人は気が狂うのではないか。と、誰かが言っていた。人の24時間は混沌としていて、目も当てられないような猥雑なものの集まりでできているから。

昼のことは夜のこととは違うからけやき通りで派手に転んだ
『夜のこと(短歌)』

しかし、誰もがやっているはずの、夜の出来事がいざ暴かれると非難されてしまうこともある。自分だってやっているはずなのに、他人がやっていると想像するとグロいので、そういう世界で自分は生きていないと思いたくなる。

 浮気も不倫もそれで傷つくことも恋愛にも結婚にも含まれていると思う。ずっと同じ1人の相手がセックスの相手として、パートナーとして、妻や夫として成り立つこともあるかもしれない。一緒に年を取り、おじいちゃん、おばあちゃんになっても手をつないでいるようなカップルは確かに素敵だ。そういうものは確かにこの世のどこかにあるのだろう。でもそれはメジャーリーグで活躍するというレベルの話でみんなが目指すべきものではないと僕は思ったりする。少なくとも、それに憧れながらも達成できなかった人を社会的に抹殺してしまうのは変だ。したことが犯罪でなければ、傷つけ、傷つけられた当事者たちで乗り越えていくしかないのではないだろうか。そして『夜のこと』で描かれているように、自由で縛られない、刹那的な関係というのも現状の上位互換や解決策などではなく、もうひとつの煉獄だ。

中原昌也さんが「人間は結局テキトーな粘土が詰まった死体だ!ってのが小説で、ゲゲッこんなのが人間の内部には!って見たくもないものを見せるのがスプラッタ映画だ!(後略)」ということをつぶやいていた。これぐらいの認識でいいのかもしれない。人間は愚かで、お互い適当な粘土が詰まった死体だと思えば、他の人がやることなすこと目くじら立てなくてもいい。

元カノが無事に心穏やかに暮らしているのだとか、ぼくもたまに検索してしまうことがある。まじでキモい。

気持ちが焦っているときに多いのだけど、全く意味のないひとりごとを口に出してしまう。
(中略)
「あおいちゃん」一人だけ、大学生の頃に好きだった女の子の名前もよく出てくる。なぜその子の名前が出てくるのかはよくわからない。その子が今までの人生でもっとも好きだったかというと、そういうわけでもない気がする。
『ひとりごと』

ぼくもふとした瞬間に、よく女の子の名前が心に浮かぶ。人に言いたくない。phaさんが先に言ってくれてよかった。安心した。キモい。愚かだ。でも粘土がやることだ。

キモくて愚かで情けないが、それを文章にするのはいい。直接話を聞いたら身がたじろいでしまうかもしれないが、小説なら適度な距離があって読める。人に言えない夜のことがある人は、文章にするといいと思う。人に見せなくてもいい。文章を書くことは鎮魂歌だ。成仏させるのだ。あたりを漂っているキモいものたちよ、静まり給え、と。

pha『夜のこと』

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この記事を書いた人

作家/編集者。1979年生まれ。香川県出身。『BOMB!』、『STUDIO VOICE』、写真集&書籍編集者を経てフリーに。ミニマリスト本『ぼくたちに、もうモノは必要ない。』は25カ国語に翻訳。習慣本『ぼくたちは習慣で、できている。』(ワニブックス刊)は12ヶ国語へ翻訳。