ヤマザキOKコンピュータ『くそつまらない未来を変えられるかもしれない投資の話』〜金より大事なものを守るための投資〜 佐々木典士

著者のヤマザキOKコンピュータ(さん付けも違和感あるし長いので愛称のヤマコンで)とは、「ぼく習」を出版する直前ぐらいに大阪で一度会ったことがある。「途中でやめる」の山下陽光さんがつないでくれたご縁だ。サバイブというメディアで書かれている記事もイラストも面白かったし、パンクと投資という一見相反するように思える要素が同居していて興味を惹かれた。ヤマザキOKコンピュータというペンネームも気が利いている。

投資という言葉が持つイメージ

もう10年以上も前のこと、芸能人を撮影する仕事をしていた時、ロケバスの中でメイクさんと投資の話になった。そのときメイクさんは投資家たちを「要するに虚業だよね」と一蹴していて、その時の自分も大体同じような考えを持っていたと思う。あなたや私の仕事も虚業かもしれないという考えが頭をかすめたが仕事をスムーズに進めたかったのでそのアイデアは話さずにおいた。

この本のメインテーマは、いかに投資を普通の人々が日々行う行為として取り戻すかということである。しかし一般的に投資のハードルは高く、投資家という言葉が持つイメージもネガティブかもしれない。ヤマコンもこんな風に言っている。

投資家という肩書きで活動していると、面と向かって、ずるい、汚い、などと言われることもある。「金の亡者」とか「金貸して」と言われるのも慣れた。言ってる人は冗談のつもりなんだろうけど、悲しいことではある。言われてムカついたとか、そう思われてつらかったというわけではなく、自分が思い描く未来への遠さみたいなものを感じて、悲しい。

この「ずるい」という気持ちは、お金を得るための労働というのは額に汗水たらすようなものであるべきという考えから来ているのではないか。クリックひとつで大金を稼ぐ投資家、確かになんだかずるいような気がする。

投資は修羅の道?

ぼくはある日、株のディーラーと出会ったのだが、その人がまず自分の投資に対するこの偏見を打ち壊してくれた。株のディーラーとして働く人は多額のお金を稼げる。年間で数億も稼ぐ人もいる。しかし、その世界のトップにいる人たちはすでにお金には興味がなく、ディーラーの世界でいかにいい成績をあげて、トップに立つか日々しのぎを削っているそうだ。ジョブズが言ったように「買いたいものなんてすぐに尽きてしまう」。だから、そこまでいくと稼ぐお金というのはシューティングゲームの点数と変わらず、ただの勝敗を決めるルールだ。目的はもはやお金ではありえず、その点数がどれだけ高いかを競う天下一武道会、強そうなヤツに会うとオラわくわくすっぞの世界なのだ。

この本でも触れられているように、投資先をチンパンジーがダーツで決めるのと、株式投資の専門家が熟考の末決断して決めるのと、大して変わらないという話もある。しかし、ほんの数%でも、0.01%でも勝率を高めるために、トップのディーラーは常に情報を集めて勉強している。その友人と会うと「最近はダンボールの値段が上がっていて~」など絶対に自分が注目していないようなことを教えてくれて楽しい。

株価には本当にいろんな影響が絡むわけで、会社の情報や経済だけでなく、集団心理や、天候や、災害リスクや、国際政治なども絡むと思うと確かに終わりのない勉強の世界だ。株の世界で勝率を高めるというのは、要するに世界全体の粒子の動きを予測するために膨大な計算をするというような話なのかもしれない。

その計算の結果出す答えは、買うとか売るとかいう単純なものなので、チンパンジーのダーツ、素人のきまぐれのワンクリックと結果は同じこともあるだろう。しかし、寝る間も惜しんで世界全体の粒子の動きを計算することは、ずるくも楽でもなんでもない仕事だし、いくら稼げたとしてもぼくはやりたくない。ディーラーの世界をその友人は「修羅の道」と呼んでいた。

結局プロには勝てない世界?

なるほど、投資自体はずるくも楽でもなく本気でやろうとするとむちゃくちゃ大変だ。だから、ぼくの中ではそれは「素人が手を出しても最終的にはプロには勝てない世界」という結論でしばらく落ち着くことになった。確かに、投資の目的が少しでも利益を出すことならプロには勝てないだろう。しかし、ヤマコンが考える投資というのはそういうのでもない。ヤマコンにとって投資というのは、もっと身近な日々の行動に宿る。

ヤマコンの投資の原点は、中学校の頃、行きつけだった弁当屋がつぶれてしまったことだった。高校生になると、友人たちと他の多くの高校生がそうするように、ファミレスやコンビニに行くようになる。そのせいかどうかはわからないが、美味しい弁当を売っていた弁当屋はいつしか閉店してしまい、ヤマコンは大いに自分の責任を問う。

コンビニやファミレスはとても便利だし、クオリティが高い。久しぶりに日本に返ってきたとき、日本のコンビニは天国のようだ。コスパが良く、いろんな場所にあり、どこの店舗に行っても期待通りのサービスが受けられ安心だ。

しかしその行動は、何も考えていない楽な行為だとも言える。コーヒーを飲むためにコンビニに入るのは、何も考えずにできるが、物々しい雰囲気を出していて、マスターのおっさんが機嫌が悪いかもしれない初めての喫茶店に入るのは確かに自分の感性が問われるし、勇気もいる。その代わり最高のコーヒーが飲めるかもしれない。

銀行預金は何も考えていない行為?

そしてこれがこの本の大事なところだが、この「何も考えずに、楽だからそうする」ということは銀行に日本円でお金を預けるという行為もそうなのだとヤマコンは指摘する。

銀行にお金を預ける行為は、コンビニに入るのと同じで、どこにでも店舗はあるし、簡単だし、元本は保証されるので安心な一面もある。しかし、インフレになれば目減りするし、日本経済の先行きが怪しくなった時には、大きなリスクとなる。

先日のコロナウイルスに関する記事でも書いたとおり、ぼくはいろんなリスクに対応できるように身軽でいるつもりだが、自分の資産に関してはリスクに野ざらしで置いてしまっていたことを反省した。

そしてぼくも全然知らなかったのだが、日本のいくつかのメガバンクは過去にクラスター爆弾を製造する企業に投資をしていたそうだ。自分たちが何も考えずに銀行に預ければ、そこからさらに投資にまわされた自分たちのお金はいつしか誰かを殺す兵器に形を変えるかもしれない。これはいかん。

お金に対する汚いイメージとか「嫌儲」が出てきてしまう理由はこういうところにも一旦があると思う。一発数千万円とかする爆弾は、高いし消耗品だしで産業としては儲けやすいのだろう。利益至上主義になってしまえば、こういうところに投資するのが一番効率がいいかもしれない。銀行に預けても、そのお金がどう使われるかまではわからない、だからまともに使ってくれそうな企業に自分のお金を預ける。なるほど。

我が投資に一片の悔いなし

ここでも、まだ投資に踏み切れない自分がいる、最後のひと押しが必要だ。なぜならぼくは元々、気が散っているので頭のメモリをいろいろなものに食われたくないと思っているから。自分の資産が毎日どれぐらい増えて減ったとかを追いたくないし、一喜一憂したくもない。この本でも株価に注目するあまり、目の前のとても美味しいお寿司に集中できない残念なサラリーマンの姿が出てくる。そうはなりたくない。

それに、全ての投資家が金の亡者というわけでもない。現に、俺の投資活動のリターンはお金だとは限らない。場合によっては、投資額より減って返ってきたとしても満足なときだってある。

(前略)そもそもの目的がお金を増やすことじゃなくて、俺の余ったエネルギーを社会に参加させることなので、お金の増減はそこまで気にならない。

自分のお金の流れる先を自分で決めるという行為は人格そのものに直結していて、たとえ損が出たとしても自分で決めたことなら文句はない。

株価を気にしすぎない秘策がようやくわかった。たとえ買った株が紙くずになろうが構わぬ、我が投資に一片の悔いなし。そんな企業の株だけを買うことではないだろうか。自分が心底惚れ抜いた企業が潰れるような世界なら爆発してしまえ、という意気地だ。

投資も応援の一種

そもそもぼくもたくさんクラウドファンディングで応援してきたし、そこで提示されているリターンも目的としていたわけではなかった。友達が作っている野菜や果物を買うのは応援したいからだし、家族経営のゲストハウスに泊まると宿泊代はこの子の今月のミルク代になるのかと思って嬉しくなる。ファンがよく言う「お布施」だと思ってクリエイターにお金を払ったり、本を買ったりもする。投資の場合は、その相手先が企業になるということなのだろう。

自分が作りたい未来のために投資すること、その未来を作るのに力を貸してくれそうな企業に投資すること。必然的に利益至上主義ではなくなるし、投資だけを仕事にするわけでもない。

お金フリークの人たちだけが投資をしていたら、世の中はお金フリーク好みの社会になる。

高齢者の人だけが選挙に行くなら、世の中は高齢者に得な方向に動く。投資は選挙と同じようなものだったのだ。

ここに来てようやく、ぼくが投資をしない理由はなくなった。格安SIMも、電気会社も、行政の補助金も、世の中にはほんの少し調べて行動する余力があれば余計なお金を払わずに済むことが多い。しかしその機会を多くの人が余裕がないせいで失っているし、それを見越してこの世界はセコく成り立っている。生き馬の目を抜くような投資の世界に飛び込むのは絶対に嫌だが、不勉強なせいで誰かが傷つけられてしまうのも同じぐらい避けたい。

パンクと投資は同じもの

パンクと投資は同居しないと思っていたが、この本を読み終えたら完全に同じものだと思えるようになった。

俺が思い描くパンクというのは、よく漫画や映画に出てくる革ジャンでモヒカンのパンクスとはちょっと違うかもしれない。派手かどうかはどうでもいいし、不良じゃなくても構わない。重要なのは「Do it your self」と「Anyone can do it」の精神で、つまり自分でやるってことと、誰でもできるってこと。それ以外はなんだっていい。

有名なパンクスのジョー・ストラマーさんは「パンクロックとはつまり、全ての人類に対する模範的なあり方のことだ」と言っていた(後略)

パンクをミニマリストに変えてもぼくにはしっくり来る。
専門家じゃなくてもいいし、誰かに習う必要はない(甘い誘惑を持ちかけてくるミニマリストも投資家もたいてい詐欺師なので気をつけて)

この本で述べられているのは、要するに、お金より大事なものを守るための投資=応援なのだ。

ヤマザキOKコンピュータ『くそつまらない未来を変えられるかもしれない投資の話』

補足

処女作には、変わらないその人の徳性やその後抱えるテーマが出るものだし、自分の考えを初めて世に問うあの感覚が思い出されてなぜか自分まで浮足立ってしまう。「ぼく習」が出たときに、ヤマコンは自分のやりたかったことがひとつやられてしまった、と言ってくれた。これは最大の賛辞だと思う。ぼくの次の本も「お金」にまつわる話にしようと思っている。この本に出てくる「払った1円あたりの満足度」ということはぼくもいつも考えているのだがそれを「満足ポイント=MP」と書かれたのには本当にやられた感があったし、引用して次の本の参考文献に載ること決定だ。うんうんと頷けるし、お前らわかれよ、という熱い思いも感じるいい本。香山哲さんの表紙&挿絵にも嫉妬。

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この記事を書いた人

作家/編集者。1979年生まれ。香川県出身。『BOMB!』、『STUDIO VOICE』、写真集&書籍編集者を経てフリーに。ミニマリスト本『ぼくたちに、もうモノは必要ない。』は25カ国語に翻訳。習慣本『ぼくたちは習慣で、できている。』(ワニブックス刊)は12ヶ国語へ翻訳。