夕方は公園でおにぎり。 子供に伝わるものは何?       沼畑直樹




陽が昇ると起きて、沈むと寝ようとする。もしくは、朝は陽の光を存分に浴びて、夕方はしっかり夕陽を浴びる。

そんな「地球時間」を意識してから、ちょっと夕食の感じが変わってきた。

陽が落ちかけたころにテーブルに座って、さあごはん。となるけれど、南側の窓際にぴったりテーブルをつける。

そして、子供と向かい合って、窓際で食べる。

妻は長いこと帰りが遅くて、もう半年ほど子供と二人で夕食をとっている。

娘がぼーっと外を見てるので、「何見てるの?」と訊くと、

「鳥がそこにいる」

と言った。

そして、「電気つけなきゃ」と席を立とうとした。

外はまだ明るいのに、家の内側を見ると暗いからだ。

この薄明時は、どの家も同じ。カーテンを閉め、電気をつける時間。

「大丈夫。電気いらないよ」

と言って座らせた。

窓際の自分たちには、外からのささやかな光があって、十分明るい。陰影のあるテーブルが、少しきれい。




そんな、地球時間を感じる遊びをしていたら、ちょっと試したくなったのが、週末の夕方。

ちょうど、花粉がおさまってきたころで、日曜日の夕方に公園に行った。

妻と三人で、おにぎりを持って。

夕陽がしっかり当たるベンチを知っている。目的地はそこだ。

妻はどんなに忙しくても、日曜日の夕方はキッチンにいることが多い。

「ごはんを作ろう」という意識が強く、昼から買い物、4時くらいからキッチンで食事を作り始めて、休む暇がない。

普段は私が作ってるから、週末くらい子供に作ってあげたいという気持ちもある。

だけども、最近、妻はかなりハードワークなので、正直しっかり休んでほしい。

何もしないで寝る、とかではなくて、もっと「じっとり」「はぁ〜〜」と休んでほしい。

というわけで、夕陽のあたるベンチで、おにぎりを食べた。妻はビールも飲んだ。

そしてキャッチボール。








それ以来、子供と二人でも、たまに平日の夕方に公園に行くようになった。

おにぎりと枝豆。帰ってきて、片付けがなくて楽。

いつも、その時間の公園には人がいない。

もうみんな家に帰って、食事の支度をしているのだろう。

もしくは、まだまだ働いている。

毎日夕食を作っていると、レパートリーが枯渇して苦しくなるけど、「子供にご飯を作らないと」という義務感は当たり前すぎて、普段は意識しない。けれども、公園でおにぎりを食べると、少し罪悪感を感じつつ、解放感に満たされる。

「栄養のあるものを与えないと」

という意識は子供が生まれると同時にずっと続くから、「おにぎりだけなんてとんでもない」となるのが普通だ。

だから、夕方に公園で子供とおにぎりを食べている親は、うちのまわりではあまりいないということになる。

自然の多い場所に住んでいる人は、やっぱり違うのかな、いいなと思ったり、沖縄はそんな緩さがあったなーとか思ったり。

とりあえずうちの子供は、ごはんのあとのキャッチボールが楽しいらしい。





子供は昼行性動物、そして野生児に。

今朝、成田奈緒子さんの『高学歴親という病』という本についての記事を目にした。子育ては「脳育て」で、5歳くらいまでに「からだの脳」を育てなくてはいけないという。

寝る、起きる、食べる、という行為をつかさどる脳で、親は子供に、「昼行性動物」のリズムを脳に覚え込ませることが大事だと。さらに、「朝太陽が登ったら活動を開始し、夜太陽が沈んだら眠る」ような人間、つまり原始人のような感覚を身につけさせるべきだと。この脳育てがうまくいくと、子供はストレスに強く、論理的思考や抑制機能が高い脳になるとか。そして、親がそれを大事だと思っていることは、子供に伝わっていくという。


この「からだの脳」を育てるのに必要なことは、他にもあるらしい。

うちの子供が通っていた保育園は一切、勉強的なものをやらなかった。なので、正直、不満を持つときもあった。

でも、専用の公園というか、遊び場があって、とにかく子供らしくずっと遊んでいた。

卒園式のとき、ほんとにみんなおおらかに育っていることを感じて、これで良かったのだなと思ったけれども、本当に良かったのかはっきりと答えは出せなかった。

だけど、この「からだの脳」に必要なものの話を読んで、やっと納得できた。

成田さんいわく「からだの脳」が必要なのは、「敵がいるかもしれないと察知する視覚と聴覚。何か匂いがするぞと感じる嗅覚。何かの実を拾って食べたときに、味がおかしい、食べちゃダメだとなる味覚。風が湿っぽいから雨が降るぞと察知する触覚。これら五感を使って身を守るのです」だそうだ。

つまり、子供は大自然で思いっきり遊べということ。保育園の「ただ遊べ」というコンセプトは正しかった。と思いたい。


そんな野生児的な過ごし方は、自分の世代はみんなやっていたことで、みんな日が暮れるまで遊んでいた。

でも、今はそれがしずらい世の中ではある。特に都市部では、習い事、宿題、不審者と、子供たちを室内に押し込めている。

親としては自分も、「もっと勉強!」と言いたくなるところだけど、そんな自分にも、そして、そんな世の中に、ささやかな抵抗をし続けなくてはいけないようだ。




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この記事を書いた人

『最小限主義。』、写真集『ジヴェリ』『パールロード』他(Rem York Maash Haas名義)、旅ガイド『スロウリィクロアチア』他

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