良い映画と良い人生の共通点 佐々木典士

良い映画を見ていると、エンドロールの前に「充分に元は取ったな」と思い、映画館の座席を立ち去ってしまってもいいような感覚に襲われる。

最近では、タランティーノの新作「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド 」がそういう映画だった。60年代のカルチャーや当時のハリウッドに対する愛情を、細部に渡る作り込みで表現し、それを目の当たりにしていると数十分でもう満足、こんなにしてくれてありがとうという気持ちになってくる。

ぼくが思うのは、人生の満足も映画と同じで、必ずしも最後にやってくるものではないということだ。ミステリー映画なら最後の一瞬まで目が離せないかもしれないが、大抵の人生の脚本はそううまくはできていない。「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」もわけのわからない展開が続くが、人生だって似たようなものだ。結末ではなく、ただシーンひとつひとつの強度が仮装大賞の点数のように積み上げられ、一定の水準を超えたら満足感が得られるのではないか?

人生では、多くの人が未来に対して不安を抱いている。20歳前後の人と話しても、老後が不安だと口にする人が多くてびっくりする。老後が不安だということは、寿命が尽きるまできちんと生き延びないと満足感は得られないという発想ではないだろうか。しかしエンドロールまで見なくても、人生に充分満足はできる。

ぼくがそうだ。最近40歳になったが、自分の人生にかなり満足してしまっている。それはやりたいことも思い切ってやってきたし、美味しいものもお腹いっぱい食べ、世界の美しい風景もたくさん見てきた。人生なんてそれぐらいでいいのではないか。感謝することばかりだ。

エンドロールまで見なければ満足できないと思えば、人生は途端に難しくなるだろう。お金もたくさん貯めなければいけない。しかし、やりたいことを後回しにせず、老後の楽しみにも取っておかなければ、寿命が来る前に人生全体に満足してしまうことはそれほど難しくないのではないだろうか?

満足感を先に得られるといいのは、どんどんリスクが取れるようになるということ。賢く堅実に生きようと思えば、バイクなんて乗らない方がいいし、世界一安全な日本を出る必要もない。代わりに危険を賭しての喜びもない。

良くないのは、人生に満足してしまうと、やる気は失われるかもしれない。ぼくはこれ以上有名になりたくもないし、お金持ちになってドヤ顔したいわけでもない。そうして自分は空っぽだなと思うことがたまにあって、子供でもいたらそれも違うのかもと思うことはある。それでも、いつ終わってもいいと思えることは、ぼくの場合は心の安寧につながっている。

ぼくは、これからもどんどんリスクを取っていこうと思う。うまく行けばさらに充実感は増すかもしれず、残りは丸儲けだ。親しい人には何かあっても心配しないでと言っておきたい。どうなろうと、すでに満足しているのだから。そうすると不安はどこかへ行ってしまう。

  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

作家/編集者。1979年生まれ。香川県出身。『BOMB!』、『STUDIO VOICE』、写真集&書籍編集者を経てフリーに。ミニマリスト本『ぼくたちに、もうモノは必要ない。』は25カ国語に翻訳。習慣本『ぼくたちは習慣で、できている。』(ワニブックス刊)は12ヶ国語へ翻訳。

コメント

コメント一覧 (1件)