ビルドの説、暇と退屈の倫理学 佐々木典士

香山哲さんは、ぼくが今最も連載を楽しみにしている漫画家のお1人。連載のひとつに「ビルドの説」がある。(ebook japanでは連載中の「ベルリンうわの空」シリーズが無料で読める)

「ビルド」とは?

香山さんによれば「ビルド」とは、

自分の快適や充実を、無い場所に作りだすこと」。

典型的なのは、引っ越してからの新生活。ぼくはフィリピンで部屋を借りて新しい生活を始めたので、ベッドシーツや、洗い桶や、洗濯物のピンチなど、少しずつ生活用品を買ったりしている。不便で、居心地の悪さを感じるところに徐々に自分の快適を作り出していく。

でも、ビルドは新生活を始めるような大仰なものでなくても良い。
香山さんが挙げている例は、


・お風呂でフライドポテトを食べながら読書をする仕組みを作ること
・2時間ぐらい作業しても大丈夫そうな喫茶店を見つけること

など、誰でも日常生活の中でしていること。


ぼくがよく「ビルド」だなーと思うのは、ビジネスホテルに到着して荷解きをしているとき。荷物を開ける場所を選び、貴重品を置く場所を固める。充電できるコンセントを確認する。視覚に入ってくる情報を減らしたいので、マッサージや、食べ放題のビュッフェがどうとかといううるさい広告はまとめて脇へどかす。たった1泊でも、自分の快適な環境を作りあげて、くつろぐ。

「ビルド」する本能

ここで思い出されるのは、國分功一郎さんの「暇と退屈の倫理学」だ。ものすごく荒っぽく、そして自分なりに紹介すると

・そもそも人は1万年程前までは1年に移動生活をしていた。つまり定住生活は人間の本質ではない。
・新しい環境に引っ越すと、まわりの環境を探索したり、自分の巣たる家を整えたり、快適さを作り上げていく「ビルド」の能力が発揮される。
・その探索したり、ビルドする本能を定住している現代人は充分に使う機会がない。そうすると時間を持て余し、退屈してしまう。

今は空前のキャンプブームらしい。水場やトイレとの動線、風や地面の環境を意識しながら、テントを建てるところを決める。テーブルや椅子を心地よい場所に置く。それは不便さの中に快適さを作りだしていく、人間のビルドする本能を発揮させてくれるから楽しいのではないか。

ポケモンGOやドラクエの位置ゲー、ゼルダのブレスオブザワイルドなどオープンワールドゲームが楽しいのも、未開の地を開拓し、モンスターやアイテムを発見し、地図を埋めていくような行為が、ビルドする能力を擬似的に味わわせてくれるからではないだろうか。

快適さを「維持する」だけでは

これ以上はもうない、というぐらい快適だった京都の家

大事なのは、快適な生活を「維持する」こと自体は充実感につながらないということだ。例えばぼくがこの間まで住んでいた京都の家。決まった引き出しに、決まったモノが収められていて動線には無駄がない。スーパーや図書館といった仕事場の位置関係は完璧で、習慣づくりに多いに役立ってくれた。それでもぼくは、どうやら1年〜2年で同じ場所に住むことに飽きてしまうようだった。住んでいる街のGoogle Mapが行きたいところリストや、お気に入りの印で埋め尽くされてくると、そろそろ潮時かも知れないと思ったりする。そうして住んだことのない地域にピンを立てたくなってくる。快適さをあえて崩し、再構築していくところに喜びを感じる。

日本に帰国しているときには、香川〜広島〜愛媛を車で旅した。日本の道路事情は素晴らしい。

「この世界の片隅に」で有名な呉。右の人も左の人も楽しめる気がする。

どこまで行ってもきれいに舗装された道路が続き、山にはトンネルが開けられている。1988年に瀬戸大橋が開通するまでは、ぼくの実家がある四国と本州は基本的に船で渡るしかなかった。明石海峡大橋、しまなみ海道など3つも橋がかかっている今からすると、なんだか想像ができない。

しまなみ海道。こんなのどうやってビルドするんだよと、労力に気が遠くなりそうになる。

道路や橋のビルドにはとても大きなロマンや達成感が詰まっていたと思う。その達成後の快適さは確かにすごいのだが、誰かのビルドの果実を味わうだけでは、なんだか物足りなさを感じてしまう。こんなに快適でいいのか、と思うのが日本だ。

フィリピンに戻ると、家の前に出る道路が舗装されてしまっていた。ぼくのバイクはオフロードタイプなので、ここを走るのが楽しかったのに。フィリピンの道路はまだ未舗装路が多いので、バイクを走らせるのが本当にスリリングで楽しいのだ。

少し郊外に出れば、未舗装路を走れて楽しい

その残念さに浸っていたのだが、アルジャジーラでガーナの映像を見た。救急で妊婦を運んだり、物資を運ばなければいけないのに道路が劣悪で、トラックがスタックする。泥をスコップで掻き出しながら、ようやくトラックは這い上がる。ここでは切実に、舗装された道路が必要なんだろう。

快適さは常に求められる。それを目指してビルドをするのが楽しい。しかしその達成後には物足りなさを感じ、快適さを崩したくなる。本当に人は矛盾した存在だと思う。そして大事なのは、自分がどれぐらい快適さに浸るのが好きか、ビルドするのが好きかということを知ること。ビルドするのは人の本能といっても、すべての人が新しい環境に飛び込むのが好きというわけではないだろうし濃淡がある。このあたりはまた次に書きたいと思う。

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この記事を書いた人

作家/編集者。1979年生まれ。香川県出身。『BOMB!』、『STUDIO VOICE』、写真集&書籍編集者を経てフリーに。ミニマリスト本『ぼくたちに、もうモノは必要ない。』は25カ国語に翻訳。習慣本『ぼくたちは習慣で、できている。』(ワニブックス刊)は12ヶ国語へ翻訳。