日本人は常時「円」使用 佐々木典士

フィリピンのスーパーやデパートのレジ前で並んでいると、フィリピンの女性に順番を抜かされたことが2度あった。セブの空港でタクシーを待つ列でも、欧米人らしき男性がぼくの前に前に出てこようとする。

でも彼女たちに悪気はないようだったし、特に急いでもない様子だった。単純に列をきちんと作って並ばなきゃいけない、という意識が極端に低いのだ。みんながぐいぐい前に出て来るので、こちらも意識を張ってジリジリと歩みを進め、時には体を張って自分の位置を確保しようとしたのだが、彼らはそういうことにもまったく気を留めない。こちらが気を張っているということ自体の想像をしていないようだ。

そしてカフェや、空港のカウンターでは「Are you in line?(列に並んでますか?)」と何度か聞かれた。どう見たって並んでるでしょ、と日本人なら思うのだがお構いなしに聞いてくる。

ネイティブの先生とは日本人独特の人との距離感についてたびたび話をした。たとえば、カフェがいっぱいで相席せざるを得ないとき、日本人は黙って座ることがあると。言わなくても見ればわかるでしょ、店はいっぱいなんだから、という感じだろう。そして、ぼくが留学していた学校では3食提供されるのだが、一緒に食事を取ればいいものをわざわざ離れた場所に学生が1人ずつ座って食事を取ることがあり、その光景がとっても不思議に思えると言っていた。

反対にぼくが映画「ファイト・クラブ」を見て驚いたのは、飛行機の中で乗客が隣の乗客に話しかけるシーンだった。日本では飛行機でも新幹線でも、隣の人に話しかけることはめったにないのではないだろうか。そんな話をすると、少なくとも海外では長い話をしなくてもいいから、いろんな場面で簡単な挨拶だけはした方がいいとアドバイスされた。そうでなければ「私はあなたに関心がない」もしくはスパイか何かかと疑われてしまうようなネガティブな意味を持ってしまうのだと。

今はなぜこういうことが起こるのかわかる。日本人は「HUNTERXHUNTER」で言うところの「円」を常に使っているのではないか。(円というのはオーラを自分の体より広い範囲に拡張し、相手の存在や、動き、時には感情さえも読み取るという技術)。

円の常時使用だから、列に並ぶときもしっかり自分の順番を意識しているし、他人の位置関係に敏感だ。そして「列に並んでいますか?」とか「ここ座ってもいいですか?」とか「今日はいい天気ですね」と話しかけることも少ない。なぜなら話しかけること自体が、相手に気を使わせてしまう可能性のある行為だと思ってしまうから。円と円が接触すると、念能力者同士のバトル(空気の読み合い)を始めなければいけないので食堂でも離れた場所で座る。先生は、とりあえずは何か話しかけて、返答がめんどくさそうだったらそれ以上は踏み込まないという方法を取っていると言っていた。

日本人がこういう感じの理由として、日本は民族が少なくて、治安もすごくいいことがあげられるのではないかと話した。たとえば一般的な挨拶である握手は、武器を持っておらず、敵意のないことを示すために始まったという説を聞いたことがある。目が合うとにっこり微笑んでくれる人も多い。戦争も多く、多くの民族を目にする大陸では、初対面でまず挨拶や握手をして自分に害がなく、おかしな人物ではないことを証明しなければいけない。フィリピンだって島国なのだが、他の国に占領された時期が長いので混血が進み、人々の顔つきにもすごくバリエーションがある。言葉も島によって全然違うので、統一する必要があり英語が公用語として使われている。

日本ではどこから来たかわからないような人は少ないし、治安もいいから、相手が変な人かどうか確認する必要は少なく、挨拶もしなくていいと。でも先生からは大抵の人が安全なんだったら、逆にもっと挨拶や話をすればいいのにと言われてしまい、確かにそうだなと思った。

2ヶ月もフィリピンにいると、現地に合わせてだいぶ「円」の緊張感が緩んでくる。日本に帰ってからもしばらくの間ぼくは、失礼な人だったような気がする。しかし気を張っていないので、疲れない。円を使うにはオーラを消費するし、常時使用となればなおさらだ。まずは何か働きかけてみて、迷惑そうだったらやめる。ひとこと言ったり、それに返答したりすることは大してエネルギーは使わないのだから、その方が省エネだ。

  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

作家/編集者。1979年生まれ。香川県出身。『BOMB!』、『STUDIO VOICE』、写真集&書籍編集者を経てフリーに。ミニマリスト本『ぼくたちに、もうモノは必要ない。』は25カ国語に翻訳。習慣本『ぼくたちは習慣で、できている。』(ワニブックス刊)は12ヶ国語へ翻訳。