フィリピン留学 ドゥマゲテでの2ヶ月② 〜英語力の変化〜
佐々木典士

悔しい思いをたくさんしてきた

2ヶ月のフィリピン留学で、英語力にどれぐらい変化があったか書いておこうと思う。ぼくは高校までは受験英語はできた方だと思うけど、大学に入ってからはぜんぜん真面目にやらなくなり、かなり最近までほとんど手がつけられていない状態だった。

ところが、今は本が翻訳されて世界中の読者から英語で感想が来る。そして海外のエージェントや、取材をしてくるメディアの人と英語でメールのやり取りをするようになった。書いたり読んだりするのは今の時代ネットの検索に時間をかければできるが、話すのは全然ダメなまま。典型的な日本人の英語問題を抱えていた。

北欧のかなり有名なテレビ番組から出演依頼があったこともあった。skypeで面接のようなことをされたのだが、英語では満足に自分のアイデアを話せないので結局話は流れた。NYや、ドバイなどにも呼んでもらう機会もあった。そういうときは通訳がいるので問題はないが、気まずい時間を過ごすことも多かった。お世話になった人にも気持ちを伝えることができない。悔しいことがたくさんあったのだ。

そして「ぼくたちは習慣で、できている。」を書くにあたって、英語の勉強を習慣にしようと思いたち、車の中で英語を聞いたり、単語帳をまた眺め始めた。毎日続けてはいたが、大きな変化を感じられるはずもなく、いつまで初心者向けの教材をやらなくてはいけないのかと度々やる気を失いもした。そしてついに長年の課題に正面から取り組みたいと思い、フィリピン留学を決意する。もうこれでダメだったら諦めて、他のことに集中しようと思った。

死刑台に登るような気持ちで

入学した初日に15年振りにTOEICを受ける。結果は690点。思ったより良かった。でも3分の1ぐらいは当てずっぽうで答えたのでその日はカンがよかったんだと思う。英語のメールのやり取りだけはよくしているので、そういう類の例題はよく解けた。

前にも書いたとおり、留学する直前はとても気が重かった。恥をかき、もどかしい時間を過ごさなければいけないことがわかり切っていたからだ。ぼくの通っていた学校では生徒の部屋に先生が訪れるスタイル。最初の授業は、ネイティブの先生とのフリーカンバセーションだった。彼は肌の黒いアメリカ人ですごく優しいのだが、話したことがないとちょっと怖い。彼が来るのを椅子に座って待っている間、死刑台に登るような気持ちはこのことかと思った。これからネイティブスピーカーと50分間2人きりで話をする。そんな経験は今までに一度もない。言いたいことの100分の1も言えず、彼を失望させ、きまずい時間が流れる。そんな妄想を思わずしてしまう。

もちろんそれは杞憂だった。話のできない日本人と話をすることは彼にとっては日常茶飯事のことなので、とても紳士的に優しく話してくれる。ぼくは日常会話なら、聞く分には8割、9割は内容がわかる。しかしやはり言葉が出てこない。そして時間の経過のなんと長いことか、もう50分近く経っただろうと時計を見ると、25分しか経っていなかった。授業が終わったときに感じたのは、ほとんど話を聞いているだけしかできないという失望と、それでも言っていることは理解できたという安堵と。

脳のトンネル工事

ぼくは1日5時間のマンツーマンの授業を取っていたが、最初の3日間は1日が恐ろしく長かった。フィリピン人の先生はもちろん日本語はわからないので、文法の授業もすべて英語。1日中英語に触れていると、右脳の奥、こめかみの上側あたりをずっと拳でグリグリされている感触がした。脳の今まで使っていなかった部分を、急遽トンネル工事しますね! という感じだ。1日が終わるとヘトヘトで、数日中は身体中が傷んだ。パワーナップを取れば回復するはずなのだが、頭の中で有象無象の英語がぐるぐるまわってそれもできない。

1週間してだいぶ慣れ、一ヶ月経つ頃には授業を受けることにも、別の国に住むことにも完全に慣れた。話す面では相変わらず驚くほどの変化はないが、徐々に態度の方に変化が現れてきた。

フィリピン人の先生は幼稚園の頃から学校の授業はすべて英語で受けてきたという人が多い。(もちろんすべての家庭がそういう教育を受けられるわけではないそうで、人による。しかし、フィリピンではテレビも新聞も、飛行機のアナウンスなどもすべて英語、映画も字幕はない。おばあちゃんに道を聞いても英語で答えてくれたこともあった)

日本人の悲しい性だと思うが、英語が話せないことに申し訳なさを感じる。学校の先生は学生だったり、20代の人が多いのだがキャリアも経験も何もかもこれからという彼らに対して「英語が話せない」というたったひとつの要素だけでどうしても引け目を感じてしまう。しかし、それにも一ヶ月経つ頃には慣れた。確かにまだ満足に話せない、しかしそれがどうしたと。できないこと自体に慣れて、不思議な自信がついてきたのだ。とにかく堂々としていようと思った。

同時に、言葉を話す以外の大事なこともたくさん学ぶ。フィリピン人の先生は明るい人が多い、彼ら、彼女たちの笑顔はいくら言葉を尽くしても描写できない。日本人の学生もそうで、英語力にかかわらずフレンドリーに懸命に話そうとする人もまた先生を元気づけている。たとえば日本語がどんなに拙かろうと、笑顔で懸命にコミュニケーションを取ってこようとする外国人がいれば、その人は好かれるのではないだろうか。そして、この分野は英語以上にぼくは苦手なのだった。

「Hello」も「Mother」も言えてなかった!

発音は徹底的に直された。「Hello」という単語を何度も何度も言わされたことがあったのだが、結局満足はしてくれなかった。今までは単に文脈と類推で伝わっていただけなのだ。しかしこの練習はとても役に立った。「L」と「R」、「V」と「B」とか日本人には同じにしか聞こえないものが、別に聞こえるようになってきた。洋楽を聞いていても、歌詞や単語の意味はわからなくてもそれが「L」の発音だなとか「th」だなというのはわかるようになってきた。自分が発音する際に差をつけられるようになると、聞くときにも把握しやすくなってくる。

そして会話。まだ日常会話程度しかできないが、時に大きな飛躍を感じたこともあった。今までは少なくとも「日本語」→「英語」翻訳を頭でしていたのだが、簡単な内容なら日本語を介さずに話せること増えてきた。また、今までは言おうとする文章全体を頭の中で作ってから、話し始めていたのが、言いたいことを言えるかどうかの確信もないまま、とにかく話し始めることもできるようになった。英語の文章は主語→述語がまず来てその説明が来るので、大事なことを先に言ってしまえば後からどんどん付け足しもできるのだ。

英語でエッセイを書く

そしてぼくは文法の先生に、毎日英語でエッセイを書く宿題を出された。いずれできるようになりたいと思っていたことだが、いきなり取り組まねばならないとは……。書くことは先にも言ったように時間をかけてググればなんとかできる。そして最初のエッセイ。日本語であれば10分でかけるようなエッセイを5~6時間かけて作った。しかもクオリティは日本語の10分の1ぐらい。エッセイのアイデアや、構成を練ったりする作業は日本語と同じなのでこの辺は得意だったと思う。

このタフな宿題のために、最初は膨大な時間を費やした。他の学生さんとコミュニケーションする時間も取れず、相当な負担に感じていた。途中からは、2日に1つのエッセイを書くだけになり、結局は2ヶ月で25本の英語のエッセイを書いた。表現力自体はほとんど変わっていないが、書く時間が大幅に短くなってきた。5時間かかっていたようなものが2時間ぐらいで書けるようになってきた。そして、これはメールの返信をするときにも役立った。英語のメールを返信するとなると、骨の折れる作業だったのでいつも伸び伸びにしていたのだが、メールぐらいならすぐに返信できるようになった。そして何より、いろいろ間違っていてもいいや、送ってしまえ! と思えていることが大きい。

言葉よりも深い場所で

もちろん本人の心がけもあるが、2ヶ月ぐらいでは英語は劇的には変わらないと思う。しかし思いがけないこともいろいろあった。高校の友人が、アメリカの大学へ行ったとき夢を英語で見ていると聞いたとき驚いたことがあったが、自分も同じ経験を何回かした。頭の中にまさに今英語の回路ができようとしているようだ。先生たちともメッセンジャーを使って、たくさんのやり取りができるようになり、これがいちばん勉強になっているかもしれない(もちろんたくさん間違っている)。

フィリピン留学の魅力は、値段の安さやマリンスポーツなどの楽しみもあるが、なんと言っても先生たちのホスピタリティにあると思う。語学を身につけるには、恋人を作ることがいちばんいいというのはよく言われる話だが、明るく魅力的な先生に教えてもらって、それを追体験した。

何より大きいのは、英語や外国人に対するアレルギーがぐっと減ったということだ。英文を目にしてもウッという気持ちにはならず、むしろ知らない表現や単語を勉強したいという感じ。

今までもゲストハウスなんかで出会った外国人に挨拶したり、話を聞いたりしたいと思っていたのだがなかなかできなかった。日本語が通じない相手と接するときの、あの一瞬息が詰まる感じ。それが英語のレベルとは関係なく、なくなってきた。国によって文化も違えば笑うツボも全然違うと思っていたが、ネイティブの先生ともフィリピンの先生とも同じ感覚で、同じところでよく笑えた。そして合わない人は、たとえ日本語が話せる人同士でも合わないのだ。言葉を使わなくても、そういう感覚はすぐにわかる。

帰りの飛行機、マニラの空港で時間をつぶさなくてはいけなかった。留学前は緊張していたカフェでの注文も前より楽だ。「このメニューの意味は、濃いコーヒーってこと?」とか今までなら聞きたくても聞かなかったようなことも質問もし、いつもよりリラックスしている。でも、今までだって緊張することはなかった。ぼくたちは違いよりも、共通点の方が多いのだから。言葉よりも深い場所でぼくたちはたくさんコミュニケーションをしている。

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この記事を書いた人

作家/編集者。1979年生まれ。香川県出身。『BOMB!』、『STUDIO VOICE』、写真集&書籍編集者を経てフリーに。ミニマリスト本『ぼくたちに、もうモノは必要ない。』は25カ国語に翻訳。習慣本『ぼくたちは習慣で、できている。』(ワニブックス刊)は12ヶ国語へ翻訳。