フィリピン留学 ドゥマゲテでの2ヶ月①  〜命の適正な軽さ〜
佐々木典士

フィリピンの2ヶ月間も、あと一週間で終わろうとしている。ここでの生活にはすでに慣れてしまった。最初の印象を完全に忘れてしまわないうちにまとめて書いておきたい。

ぼくがフィリピンに到着したのは1月6日。ぼくが選んだのはセブでもマニラでもなく、ドゥマゲテという学園都市。街は大きくなく、海も山も楽しめ、ダイバーに有名な島が近くにある。治安も良く、大きな都市が好きではないぼくにはぴったりの場所。

 

到着したその日は本当に暑かった。書類提出のために、証明写真が必要なのだが、メガネをかけているものはNGだそうで、知らない街に写真を撮りに早速でかける。ほんの数km散策しただけでTシャツにはびっしょり汗をかき、熱中症になりそうな暑い日だった。

 

初めて見る街は何もかもが新鮮。ぼくは車やバイクが好きなので、乗り物からその国を読み解くのが好きだ。

庶民の足は、トライシクル。

日本製の125ccの小さなバイクを改造した乗り物で、最大で8人も乗せる。

とにかくいろんな場面でこれでいいんだな、と思わされる

日本なら通勤に使われるだけの乗り物に、生きてるままの豚をくくりつけたり、豚の丸焼きを運んだり。

 

日本のタクシーのように走っているものを止め、行き先があえば乗せてくれるし、そうでなければ断られる。料金は近所なら大体10ペソ(約20円)で格安。

 

そして日本の中古軽トラも、バスとして大活躍。排気量660ccの軽トラ、そのパワーは日本では隠されていると感じる。

デコトラ的に軽トラをカスタムするのが流行のよう。ミラーが左右10個ずつついていたり、フロントガラスはほとんど飾りで見えなかったり、車検もきっとないのだろう。

ここからさらに乗り、合計15人乗った!

 

そして、庶民が日常的に使っているのがバイク。3人乗りは当たり前で、こちらも鶏を脇に抱えたまま走ったり、赤ん坊も抱きかかえて乗ってる。セブなどの都市ではみんなヘルメットをかぶっていたが、ほとんどの人がノーヘル。最初は面食らったが、すぐに自分も3人乗りで同じことをするようになった。

信号はなくても、なぜかなんとかなるし、運転が従うだけのものでなくなり楽しい。

 

日本ならすべて違法だ。軽トラの荷台に人が乗るのもダメだし、軽トラでモバイルハウスを作ろうにも厳密なサイズに合わせて作らなければならない。もちろん安全性に配慮してのことだと思うが、利便性や快適性は失われている。

 

「イージーライダー」や「モーターサイクル・ダイアリーズ」などノーヘルでバイクを疾走するたくさんの映画を見て憧れてきた。そして自分も同じことをしてみる。ノーヘルで海沿いや山間を走ることの、なんと気持ちのよいことか。安全を気にしていては決して手に入らない喜びを得る。

 

フィリピンの平均年齢は23歳で、人口構造は日本とは真逆のきれいなピラミッド状になっている。街でもほとんど老人をみかけない。多くの女性が若いうちに多くの子供を持つそうだ。そのせいか、人の命が適正な軽さで扱われていると感じる。

 

シキホールという島では、滝坪へジャンプしたり、20mの崖からの飛び降りたり。

日本なら危険だということで、全部やらせてくれないのではないか。正しい自己責任の形がここにあるような気がする。日本の公共施設は、禁止事項の張り紙だらけだ。

 

日本のように、1人の子供を育てるのに2000万かかるとかなんとか言う話になると、子供はたくさん持てなくなる。そんなコストや手間暇をかけてようやくそこまで育ったのだから、1人の命は必然的に重く、貴重になる。すると危険は排除した方がいいだろうし、何か損害を与えてしまったときの補償も莫大になるしで、必然的にルールは厳重化される。

 

なるべく安全で快適な環境で、
そして息苦しく生きざるを得なくなる。

 

もちろんフィリピンは発展している最中の国で問題だらけだ。たとえばここには火災保険がないそうで、ぼくの学校でも生徒は火を使った調理は許されていない。病院代は庶民にとっては高いから、病気をしてもただ我慢する人も多いと聞いた。インフラだってガタガタだ。

 

しかし、人々がなんと自由に生きていることか。ネットを通して見る日本は、罵り合いの煉獄だ。ここはそうではない。あなたが私に少々の迷惑をかけても文句は言わない。だから私が何か失敗しても大目に見てほしい。そんなおおらかさがある。

とにかく何をしたってガタガタ言われないのが心地よい。

 

ぼくは、人生の大きな仕事はもうやり終えたような気がすることがある。すると捨て鉢になって、あまり命を大事にしなくなってリスクがどんどん取れるようになった。そうすることで見られた新しい風景がたくさんある。

 

ここにはそんな、少々の安全性と引き換えにした充実した生が当たり前にある。

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この記事を書いた人

作家/編集者。1979年生まれ。香川県出身。『BOMB!』、『STUDIO VOICE』、写真集&書籍編集者を経てフリーに。ミニマリスト本『ぼくたちに、もうモノは必要ない。』は25カ国語に翻訳。習慣本『ぼくたちは習慣で、できている。』(ワニブックス刊)は12ヶ国語へ翻訳。