Face the music 佐々木典士

フィリピンの留学の事情に詳しい伊藤光太さんからアドバイスとして「チョコレートを用意しておくといいですよ」とアドバイスされた。留学中はずっと欲求不満のような状態になるので、それを解消する方法を用意していた方がよいということだった。

ぼくは海がとてもきれいなドゥマゲテという場所で英語を勉強している。最近は毎日のようにビーチで日の出を眺めるのが日課。週末になれば、山に登ったりダイビングしたり。それだけを切り取れば羨ましがられてしまうかもしれない。

しかし、伊藤さんの忠告どおり別の言語を学ぶということは、基本的には苦しいものだ。未だに会話についていけなかったり、自分の言いたいことがうまく伝えられない状況はたくさんあるので、1日のほとんどを居心地の悪い状態で過ごしているように思うこともある。他の学生の状況が気になったり、ぼくの場合は言葉の不足を埋められる表情やボディランゲージなどの表現も苦手なので悲しくなることもある。

しかし、それを思い直すこともあった。日本に一時帰国したときに、取材で通訳の方にお会いし話を聞いた。日本と韓国のハーフの方で8歳まで日本で過ごし、その後はオーストラリアで過ごされたそうだ。今、英語で苦労しているだけに思わず羨ましくなる。しかし事態はそう簡単ではなかった。もはや今では英語の方が得意だそうだが、オーストラリアに移住したばかりの頃は、言葉も話せないし、人種差別もあるしで辛い思いをしたそうだ。その経験があってこそ、今ぼくが羨ましく思うような状態がある。

以前twitterで、恥とスキルは等価交換だと書いた。恥をかくのはとくに日本人なら恐れることだが、失敗をして恥をかかなければスキルは得られない。誰もがうらやむようなスキルを持っている人は、それだけ膨大に失敗して恥をかいてきたということだ。その通訳の方は、幼い頃の辛い気持ちと交換して、バイリンガルというスキルを得たのだと思う。

チャンピオンの姿とは、誰に見られることもなく汗だくになり、 息を切らして疲れ果てている人だ。──アンソン・ドーランス

スポットライトがあたっている時にだけ注目すると羨ましくなるが、その人が乗り越えてきた恥や苦労を想像すると、その人も過去に等価交換をしてきただけなんだと思ったりする。ごく普通に生きている人は注目されないかもしれないが、注目される人が払ってきた努力の代わりに、快適な時間を味わっているともいえる。どちらの人も一般に思われているほど、幸福に違いはないんじゃないだろうか。

先生から教えてもらった「face the music」という言葉を思い出す。なぜ「music」なのかよくわからないが、自分がやってしまったこと、やらないでいたことが招いた結果を受け入れるという意味の言葉だ。ぼくは、今ずっと英語をやらないままにしていたことと、ずっと快適な日本語という環境で過ごしてきたことの結果を味わっているのだと思う。それは通訳の方が幼い頃に体験したことと近いかもしれない。今の快適ではない状況と、将来の楽しみをただ交換しようとしているのではないか。

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この記事を書いた人

作家/編集者。1979年生まれ。香川県出身。『BOMB!』、『STUDIO VOICE』、写真集&書籍編集者を経てフリーに。ミニマリスト本『ぼくたちに、もうモノは必要ない。』は25カ国語に翻訳。習慣本『ぼくたちは習慣で、できている。』(ワニブックス刊)は12ヶ国語へ翻訳。