ぼくたちは、日本語と英語を同時に学んでいる。佐々木典士

大人が英語を話すときの問題点

大人が英語を話すときの大きな問題は、自分の母国語で言いたいことと、英語で言えることのギャップが大き過ぎるということだと思う。

何か意見を求められて、子どもだったら「すごくいいと思う!」とか「超楽しかった!」という感想でいいはずで、それは英語に変換しても簡単だからすぐに言える。そうして、しゃべる機会が増えるからますます学んでいける。

ぼくの場合はまだまだ日本語で言いたいことの10分の1か、もしかしたら100分の1ぐらいしか英語で言えない。誤解を生みそうな簡単な意見を口にしたくはないし、かといって繊細なニュアンスも表現できないのでただ「うーん」となってしまったりする。それでは成長はおぼつかない。だから大人に必要なのは、そこで諦めずに自分の言いたいことを自分が言える簡単な英語に翻案する作業だ。

音の問題ももちろんある。母音も子音も英語の方が日本語よりたくさんあるが、その違いに慣れてないうちは、すべて日本語のカタカナに変換されて聞こえてしまうし発音もカタカナになってしまう。すでに確固としてある言語が、新しい言語の学習に干渉してしまうという問題だ。

大人が英語を勉強する強み

しかしそれでもなお、大人が英語を勉強するときの強みもある。たとえば、ぼくはネイティブの先生と毎日50分のフリートークをする。その先生も車とバイクが大好きなので、よく話題にする。ぼくが車やバイクに興味を持ったのはほんの1、2年前のことなので、興味を持つ前のぼくだったらもちろんそういう話をすることもできなかったわけだ。「馬力」って英語でもhorse powerと言うんだと知るだけでも何か楽しい。

他にもマイナンバー&管理社会、AI翻訳、クラウドソーシング、ソウルやファンク・ミュージックなどなどその先生との話題は幅広い。もちろんぼくは、ほとんどの時間聞く側に回っているのだけど、それでもこういう話ができるのは、日本語ですでにそういった話題について知っているからだ。英語でのそれぞれの専門用語はわからなかったとしても、話題自体を知っているからなんとか会話が成り立つ。

日本語で学んだばかりのことを英語で

先日は日本語の本で読んだばかりのことを話してみた。英語はもちろんイギリスで使われていた言葉だが、イギリスが長い歴史の中で占領されたり、バイキングから攻撃されたりして、たくさんの言語の影響を受けて成り立っている言葉だそうだ。

たとえばhardとdifficultは同じ難しいという意味の言葉だが、hardはアングロサクソン語(古ノルド語)から来ていて、difficultはラテン語から来ている。他にもhouseはアングロサクソン語だし、同じ意味のresidenceはラテン語が語源だそうだ。日常会話のほとんどは、一般的に単語自体が短いアングロサクソンの言葉がほとんどを占めているが、単語が長いことが特徴のラテンの言葉は、全単語の60%を占め抽象的な考えを表現するのに便利な言葉が多いと。

それで、ネイティブの先生に、新しい言葉を見た時にその語源がどちらにあるのかいきなりわかるものなのかと聞いてみた。先生によればたとえば、医学や病気の言葉はラテンが多く(例 anorexia=拒食症)確かになんか、発音も文字の並びもちょっと雰囲気が違うしなるほどなと思ったりした。

日本語で本を読み知ったばかりのことでも、図解を駆使したりして次の瞬間、英語で話すこともできないわけではないということだ。そうしていつしかぼくは「ぼくたちは日本語を学びながら、英語も学んでいる」と思うようになった。何かの概念自体を知らなければ、それは日本語だろうが、英語だろうが話題にすることができない。日本語で何かを学んできたこと自体が英語の会話の下地になっている。これが大人が英語を学ぶ強みだと思う。

羨ましさを超えて

先日、印象的なある一人の男性に出会った。工業高校を卒業し、職業も技術職で英語の勉強は50歳から始めたそうだ。しかし英語の勉強が趣味で(文化の背景や、言語の歴史自体にも関心が幅広い方だった)70歳を超えた今となってはフィリピンの大学の特別聴講生として、年の半分を過ごしている。哲学や、宗教学の授業では英語で議論をするし、立派な文章も書ける。

フィリピンの特に若い世代の先生は、発音も何もほぼネイティブと変わらない。それは特にインターネットが発達して以降、you tubeなどでネイティブの英語に触れる機会が若い世代ほど多かったからだそうだ。そんな風に幼い頃から英語を学んでいる人を見るともちろん羨ましくなる。しかし、もし英語ネイティブの環境で育ったからといって、好奇心自体がなければ大した会話はできないのだ。始める年齢は言い訳にはならないし、遅いことにだって強みもある。


10年間勉強しても英語が上達しない日本人のための 新英語学習法


そもそもの英語の成り立ち、歴史からアプローチしていて面白い。ただこの本のタイトルにもあるような、画期的な英語学習法というものは基本的にないと思っている。なんでもいいので、膨大に間違えて、それでもやめずに続けることが大事だと思っている。

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この記事を書いた人

作家/編集者。1979年生まれ。香川県出身。『BOMB!』、『STUDIO VOICE』、写真集&書籍編集者を経てフリーに。ミニマリスト本『ぼくたちに、もうモノは必要ない。』は25カ国語に翻訳。習慣本『ぼくたちは習慣で、できている。』(ワニブックス刊)は12ヶ国語へ翻訳。