英語は砂金集め 佐々木典士

大人の英語学習がつらい理由

英語を学習していると、本当に自分が情けなることがよくある。単語を覚えてもすぐに忘れて、何度も同じ言葉を辞書で引くハメになる。相手の言っている英語がわからなかったり、自分の言いたいことがうまく表現できなかったりすると悲しくなり、自分の能力のなさを呪いたくなる。

大人が英語を習得しづらいのは、母国語が干渉してしまうという問題(たとえばカタカナ英語の発音や和製英語)もあるが、それ以上に「覚えられない」自分が嫌だったり、「わからない」状態がつらかったりするせいだと思う。

たとえば子供が、言語を話はじめるには数千時間も親が話しているのを聞くリスニングの時間がある。そして話始めた子供は、膨大に間違えながら、「なんで?」「なんで?」とおかしな質問をたくさんしながら言葉を覚えていく。「こんなことを聞いたら恥ずかしくないかな」とか「うまく喋れなかったら笑われるかな」という大人のような余計な自意識がない。そして誰かの話がわからない状態が当たり前。だから続けられる。

AIの語学学習

AIも同じだ。Googleの翻訳は、2016年11月からニューラルネットワークという学習の仕組みに切り替わり飛躍的に精度が増した。たまに韓国の読者がGoogle翻訳を使って感想をくれるのだが、ほぼ完璧な日本語となって送られてくる。日本語と韓国語は言語の距離が近く語順も同じだから翻訳の精度が高い。

英語に文章を翻訳するときも、英語の文法を踏まえた日本語(主語や述語の対応関係をはっきりさせる)で書くと、今は相当の精度で返してくれる。このニューラルネットの学習で面白い話を聞いた。現在はAIに文法などのルールは一切教えていない。ただ単に、英語と日本語で同じ意味を表しているであろう文章をとにかく膨大に読み込ませているだけだそうだ。そして、もちろん変な訳を出力したとしてもAIは恥ずかしいなんて思わない。AIの強みはとんでもない数の失敗をしながら、学びを続けられることにある。

人間の脳もAIと同じ

しかし、AIのニューラルネットはもともと人間の脳を模したような学習の仕組みだそうだ。デイヴィッド・イーグルマンのあなたの知らない脳──意識は傍観者である (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)""“>『あなたの知らない脳──意識は傍観者である』では脳の面白い話がたくさん出てくる。たとえば、1960年代に目の見えない人にどうすれば、視覚を与えられるかという実験がされた。目の見えない被験者の額にビデオカメラを取り付け、その映像情報を、背中に取り付けた振動機に変換した。最初はただ背中に振動を感じるだけで何が起こっているかわからない。しかし一週間もすると、知らない環境の中をうまく歩き回れるようになった。 登山家のエリック・ウィーンマイヤーは13歳で視力を失ったが、2001年視覚障害者として初めてエベレストに登った。その時の方法は、600個の電極を持った装置を舌に取り付けるという方法だった。映像の信号は、電極のちくちくする刺激に変換される。そうして距離、形、大きさなどを「舌で」見ることができる。つまり人間の脳は情報の入力さえ続ければ、何でも読み込んで理解できるようになる。

語学は砂金集め

フィリピン留学に来て4ヶ月が経ったが、留学前に期待していたようなものすごい変化があったかというとそうでもない気がする。覚えても何度も何度も忘れるし、いつだって不足を感じている。しかし最近、こちらに来る前にやっていたリスニング教材を聞いてみるとだいぶ聞けるようになっているし、知っている単語も確かに増えていた。そうして、英語の学習は「砂金集め」のようなものだと思うようになった。

英語を学習することは、ザルで砂をすくうようなものだ。学んだとしてもほとんど忘れていき、身につかないことばかり。一度学んだことはすべて身につけたいと思うが、実際そのほとんどは自分のザルを通りすぎていく。

ただ、学んでいく中で偶然出会った同じ表現は忘れなかったりする。それは通りすぎていく膨大な砂の中に、小さな金箔を見つけるようなもの。一旦は見過ごしてしまった金箔でも2度目に出逢う機会があれば、見逃さないかもしれない。

大人が英語を身につけるのは難しいのは日本語ならすべてを理解できるはずのに「わからない」状態がとても居心地の悪いものだったり、道のりが遠すぎて成長が遅かったりして自分が情けなくなるから。年齢の問題というより、心理的な障壁が大きいのだと感じる。そうしてただ「続けられなくなる」だけ。それが子供やAIとの違いだ。そしてこれは英語以外でも同じこと。

脳はわからない情報でも、入力を続けていればいつか理解することができる。だから大事なのは「わからない」居心地の悪い状態に慣れ、小さいながらも金箔を集めていくこと。金箔は薄くて小さくて、ひとつ集めたからといって大したことはできない。しかし続けてさえいれば、いつか小さく美しいオブジェぐらいは作れるようになるだろう。


あなたの知らない脳──意識は傍観者である (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)""“>ディヴッド・イーグルマン『あなたの知らない脳──意識は傍観者である 』

『ぼくたちは習慣で、できている。』でも大変お世話になった本。脳や意識といった普段考えずとも過ごせるものについて、改めて考えてみると、こんがらがってとても面白い。ぼくたちは、わけのわからないものでできている。
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この記事を書いた人

作家/編集者。1979年生まれ。香川県出身。『BOMB!』、『STUDIO VOICE』、写真集&書籍編集者を経てフリーに。ミニマリスト本『ぼくたちに、もうモノは必要ない。』は25カ国語に翻訳。習慣本『ぼくたちは習慣で、できている。』(ワニブックス刊)は12ヶ国語へ翻訳。