エンプティ・スペース 006
街を離れるミニマリズム
沼畑直樹
Empty Space Naoki Numahata

2018年6月

ときどき、道の向こうがわに青い山が見える、長い並木道。

車の中から眺める風景が好きだったが、この道ともそろそろお別れしなくてはならない。

引っ越しが決まったのだ。

きっかけは、車である店に行った帰り、立ち寄ったオープンハウス。

「子どもが小学生になる前に、子ども部屋がある部屋に引っ越したい」と妻がずっと言っていたのを、「現実的ではない」としてしりぞけていたが、あまり否定しすぎるのも可愛そうなので、一度物件を見たことがあった。

そのときは東京近郊ながら、里山的雰囲気をたたえ、よく遊びに行っていた広大な緑地帯にある家。

電車のアクセスは最悪ながら、すぐそばには迷ったら出てこれないような森林のフィールドがある。

ただ、二人とも商店街に囲まれた便利な場所から、この静かな住宅街に引っ越すというイメージが湧かず、流れた。

そのときの値段や条件は覚えていたので、オープンハウスで提示されていた金額と条件に驚いた。

吉祥寺近郊なのに、駐車場2台分。

今は、商店街という賑やかな場所に住んでいる代償として、駐車場までが遠い。

それが目の前に置けて、電車のアクセスも悪くない。

あくまでそれは、電柱に貼ってあった広告に書かれている文字でしかなかったが、胸騒ぎがして「行こう」と言った。

妻は「行かなくていいよ。帰ろう」と言ったが、無視して車を進めた。

そのとき心に秘めていたのは、「このささいな決断が人生を変えるのだ」ということ。

自分のクセなのか、運命論者なのか、そういうことをよく考える。

悩んで動くというのではなく、「今この道を曲がった」とかいうようなことが、大きな人生の岐路だったという運命論。

一週間後、そのとき見た物件ではない物件を購入した。

担当者が見せてくれた物件を即決したのだった。

私は吉祥寺の家にいたいと主張していた。

ミニマルで、夕方にはゆっくりたたずめるベランダがあり、街が元気をくれる場所。

この吉祥寺の物件から引っ越すに値する物件とは何なのか。

心動かされたのは、週末にいつも行っていた公園のエリアだったこと。

「野遊び」という言葉にふさわしい、木と芝生だけの野性味あふれる公園。

私が夕方に娘といたいと願っていたエリア。

夕方に、外に佇みたくなる場所。

そういうわけで、慣れ親しみ、愛した吉祥寺を離れる。

駐車場が遠いというのは、だからといって本当に嫌だったわけではない。

「住めば都」という言葉通り、住んでいるときは多くのことが愛着に変わる。

不満を消して、人は生きることができるのだ。

愛着となっていたいくつかの不満は、「引っ越す」「やめる」と決めた瞬間に、「手放せるもの」となる。

解放の瞬間。

そのかわり、新しい家では新しい不満に蓋をする。

4階から1軒家に移るということは、眺望や日照は減るし、ベランダも狭い。

吉祥寺の駅近という賑やかで元気をくれる環境ではなくなる。

でも、新しい変化は、常に心地良い。

すべてを捨てて、また新しい何かが始まるのだ。

この街の素晴らしさも、この家の愛着も、いろいろな不満もすべて、一度リセットする。

遮断、ミニマライズして、もう一度新しい環境で。

  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

『最小限主義。』、写真集『ジヴェリ』『パールロード』他(Rem York Maash Haas名義)、旅ガイド『スロウリィクロアチア』他

メール info@tablemagazines.com