他人のSNSを信用しない
佐々木典士

昨年の12月にバイクの免許を取るべく、教習所に通いつめた。新しい経験はいつも刺激的。その頃からtwitterを見なくなった。(もともとFacebookはあんまり使っていない)以前からフォローは0にしていて、リストでフォローを管理していたのだがそれもすべて外した。ここのところは「最近あの人どうしているかな?」と思ったときに検索して見るようにしている。

キャンプしているときとか、旅行しているときとか、楽しく充実しているときにはSNSを見ない。このことには以前から気がついていた。時間的な余裕がないから見ないというよりも、見る必要がないという感じ。この状態を「経験がSNSを追い抜く」と呼んでいる。そして年明けからのフィリピン留学。ここのところ、ずっと経験がSNSを追い抜いている。

気の合う友達と夕食を共にしているときに、ネガティブなことを書き込んで他人を非難しようとは思わない。一方で、楽しい旅行をしたり、貴重な風景を目にしている時には、たくさんSNSに投稿したくなる。しかし、人の1日はSNSに投稿しているような単純なものではないと思う。

たとえばぼくのフィリピンの1日は目まぐるしい。ある日の授業で、簡単な英文すらブロークンでしか言えず、凹まされる。その次の授業では大好きなフィリピンの先生と英語で、それ以上に、共通する人間同士の感覚で通じ合えたような気がして心の底から嬉しくなる。

そうして機嫌よく授業を終えたその日、よく行くスーパーへの通り道で、犬が腹をさらして倒れ死んでいるのを見かけた。フィリピンの公衆衛生はそこまで行き届いていない。次の日またその道を通る。犬の亡骸はまだそこにあり、顔には虫がたかり、腹は前の日よりもガスで膨らんでいた。

フィリピンではバイクで長距離を爆走し、美しい山や海の風景に心打たれる。そこにいるかわいい動物の写真を撮り、その風景を誰かにシェアしたくなる。しかし、その風景を見るまでに、ロードキルでミンチになった何体もの動物を乗り越えている。

ぼくはこのことをSNSでつぶやこうとは思わない。こういうことはSNSというよりもブルースに属するようなものではないか。

ぼくはネガティブなことはなるべくSNSにはつぶやきたくないと思う、人にネガティブなムードを与えたくないからだ。自分が前向きなときにネガティブなムードに引きずりこまれるのもごめんこうむりたい。かといって人のSNSでポジティブなものばかり見せられても、嫉妬や羨望でやる気が損なわれることがある。しかし、ポジティブなことの背面にももっと複雑で、感情の起伏豊かな1日が本当はあるはずなのだ。人の1日は、SNSで挙げているような要約ではない。

ぼくがSNSを見る基準は、それを見ることでやる気が出るかどうか。(國分功一郎さんがスピノザについて言う、活動能力の増大が起こるかどうか)。ぼくには大好きな尊敬している方たちがたくさんいて、刺激を受けてやる気が出る場合もあれば、ときどきその人達のスピードに追いつけなくなって、置いてけぼりを食ったような気分になることがある。そんなときは少し距離を取る。

ぼくは今後もネガティブなことはつぶやこうとは思わない。しかし、もしその言葉でやる気が損なわれるなら、どうぞぼくのSNSから距離を取ってほしい。ぼくもそうしている。ほとんどの人の経験がSNSを追い抜き、各自勝手につぶやいているだけで、お互い見てもいない。そんな状態がもしかしたら理想ではないか。

  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

作家/編集者。1979年生まれ。香川県出身。『BOMB!』、『STUDIO VOICE』、写真集&書籍編集者を経てフリーに。ミニマリスト本『ぼくたちに、もうモノは必要ない。』は25カ国語に翻訳。習慣本『ぼくたちは習慣で、できている。』(ワニブックス刊)は12ヶ国語へ翻訳。