2016年12月
昼。西の窓から射し込む陽が強く、それが私に師走の感情を呼び起こす。
この家ではいつも、冬はテーブルに座ると眩しい。
そして、寒さゆえ、毎日お湯を沸かすようになる。
温かいお茶のため。
音が知らせてくれるポットではないので、他のことに集中していると湯があふれ出す。
でも、それを拭けば台が綺麗になるからいい。
ご飯を炊いて、鍋で出汁をとる。
去年は昆布と鰹節からとっていたけれど、紙パックを使ってみた。
茅乃舎という出汁のパックだが、ちょっとお湯で煮出しただけで出汁がしっかり出る。
この出汁に鶏肉と大根をささっと入れて、お昼ご飯は完成。
夏は和食からタパス的な料理に切り替えていて、存分に楽しんでいた。
ワインにスペインバル。特にいろいろな貝のつまみとワインを楽しんだ。
それが、秋が来て、冬の到来を感じると、和食モードに再び戻った。
きっかけは、わかっている。
初女さんだ。
この年(2016年)の2月に、94歳で亡くなった佐藤初女さん。
青森で悩みを抱えた人々に対して、自分で握ったおにぎりでもてなすという活動を続けた人で、私は昔、取材で訪れたことがあった。
岩木山麓の、「森のイスキア」と呼ばれる施設に、初女さんはいた。
「初女さんが握るおにぎりは、なぜか美味しい」
というのが、文献等で知った評判だった。
私は勝手に、彼女の味付けも含め、「美味しいおにぎりに出会える」という姿勢でいた。
本当に私は馬鹿者だった。
期待を胸に食べた彼女のおにぎりは、いたって「普通のおにぎり」だった。
美味しい、けど、普通のおにぎり。
初女さんのイスキアを訪れる人々は、救いを求めている。人生の際、ギリギリのところに立っていて、その先が見えない人々。
そんな人々が、思い込めて握られたご飯を食べる。
すると、そのおにぎりは、普通ではなくなる。
味付けの美味しい具が入っているとか、海苔がまかれているということではない。
また、初女さんが握ることで科学的に変化を起こし味わいが増すということでもない。
私は抱いていたのは、そんな神秘めいた期待で、批難されるべき態度だが、そのときは本当にそう思っていた。
おそらく、その取材から13年以上は経っている。
私は、ふと初女さんのことを思い出し、自分にも娘にも、思いを込めて作ったご飯を作りたいと思った。
初女さんの言うように、素材に感謝しながら切り、煮て、お米を握る。
それで、科学的な変化が起こるわけではない。
でも、そのプロセスが大事なのだと、今ならわかる。
誰かのために作るということ。それが自分であってもいい。
鶏肉と大根の出汁煮は、美味しかった。
美味しいという言葉に、いろいろな意味があるという意味で。