2011年3月11日。東京メトロ丸の内線の新高円寺駅のホーム付近で、電車が止まった。
緊急停止を伝えるアナウンスが流れ、数秒後、ゆらっゆらっとゆっくり電車が揺れた。
車内から「わっ」という声は聞こえたが、立っている人はいなかったし、車内が空いていたせいか誰もが冷静だった。
長い揺れが収まり、誰かが「宮城で震度7」と言った。
私はまだiPhoneではなく、ポケット型のWifiとスマホだったので、ニュースを調べることなく、しばらく座って待っていた。
でも、電車は一向に動かない。
誰も電車から出る人はいなかったが、私はホームに降りて、階段を上った。
地上に出る少し手前、壁のタイルが崩れ落ちていた。
外は人がまばらで、混雑はしていなかった。
私は焦っていた。3時すぎに東中野で舞台の撮影の予定があるのに、間違って丸ノ内線に乗ってしまったからだ。
遅刻してはいけないと思い、東中野に向かって歩き出した。
途中、大地が揺れる。電信がゆらりゆらりとゆらめく。
電話が担当者に繋がらない。何かおかしい。
中野駅は混み合っていた。JRの駅に人が集まり、電車が動く気配はなかった。
さらにそこから東中野に向かって歩いたが、ビルから避難する人々が大量に出てくるのを見て、もう撮影もないと悟った。
私は方向転換し、吉祥寺の自宅に向かった歩き出した。妻と連絡がとれない。
電気屋に人が集まっていた。テレビで、津波の映像が流れている。
ただならぬ気配を感じて、すぐに歩き出した。
中央線沿いに歩けば、辿り着くだろう。
私はポケット型Wifiの電源を入れ、スマホの地図を使って歩き出した。
歩いていると、高架下の建物から、ガスの匂いがする。
ポケット型Wifiのバッテリーが、そこで切れた。
ネットは使えなくなったが、まだ地図を使うことができた。
その日は、GPS内蔵型のガーミン製タブレットを持っていたからだ。
海外での仕事で当時は必須だったもので、出かけるときに鞄に入れたのだった。
普段は持ち歩かないのに。
おかげで、無事家まで最短距離で辿り着くことができた。
中央線は線路沿いにまっすぐ道が伸びていなかったので、地図がなければ迷ったかもしれない。
途中でバッテリーは切れた。
もう、家の方角はわかる。
家には多少、モノが落ちて壊れているものがあったが、ほとんどは無事だった。
地震が起きたときには部屋に妻がいて、テレビを支えていたらしい。
その後彼女は怖くなって、会社に避難していた。
今は、iPhoneの地図で迷うことはない。
車でも、ナビを使って目的地まで無事に辿り着く。
海外でもiPhoneを使って地図に困ることはなくなった。
そして、何かを失った。
はるか昔、人々は太陽、月といった情報を使って大地を歩いたり、潮の流れや星の位置をたよりに航海した。
東西南北という指標を頭の中に入れて、今自分がどこに向かって歩いているのかを把握して、目的地を想像し、向かった。
自分だけが道を選び、自分だけが知る道程がある。
その旅は、体中の感覚を研ぎ澄ました、動物的なものだったと思う。
そしてその感覚が今、自分に足りないと思うことがある。
部屋を片付け、ミニマリストが目的地に向かって歩き出すのは、そのせいかもしれない。
服を脱ぎ、裸になれば、感じるものが増していく。
高校1年のときにモトクロスのバイクを買い、週末は山へ向かった。行き止まりまで走って、引き返し、また次の道を往く。
目的地はなく、ただ道を選んでいく。日が暮れたら、そこにテントを張った。
GPSは、なかった。
沖縄でウィンドサーフィンをしていたときは、どこにいても風の向きがわかった。
顔を少し動かせば、耳に入る音が変わるからだ。
建物に囲まれた今の都市の中では、それがよくわからない。
サーフィンをやっているときは、月との付き合いが深かった。
月を見れば、大潮かどうかがわかったから。
感覚は、失われてしまった。
失われたものは、取り戻すしかない。
星、月、太陽、森、山、海は美しいけれど、自分の航海のツールとなれば、人にとってもっと強力な存在になる。
自分の位置を把握する。東西南北を知り、自分の道を決めていく。
東西南北、星、月、太陽、森、山、海の世界に生きることができる。
今私は、南東に向かってキーボードを叩いている。
右の窓から月が見えるはずなのに、見えないのは曇り空のせい。
その方角には古都鎌倉があり、インドネシアがあり、オーストラリアの西部がある。
背後の北西には青梅があり、松本があり、北朝鮮と旧満州がある。
モンゴルを越えロシアを通り、スカンジナビアへ。
アラスカなら、ベッドルームのはるか向こうがわ。