今年はじめてのキャンプは、雨だった。
予報で雨になるのは知っていて、「雨を楽しむ」という心構えで向かったものの、栃木県の山の中のキャンプ場で、割り当てられた場所には大きな水たまり。
どうにもならないので、場所を少し高い場所に替えてもらい、水はけのいい場所に移動。そこでテントとタープを設置することとなった。
それからは、言葉にすると「夢中」状態。
忙しく、勢いよく動いているわけではないけれど、じっくり考えながら、雨の中で快適な空間を作るために動く。
やっと完成したら火おこしで、肉を焼いて、他の家族と焚き火を囲んで、あっという間に寝る時間。
その間、ずっと雨は降り続いていた。
「夢中」な気分でいたのは、きっと雨のせいだ。
暗くなった森の中で、このキャンプ場には他にも多くの家族がテントを張っていた。
それぞれが話しをして、子どもたちが楽しく声を張り上げているのに、耳にまで入ってこないのは、雨のせい。
雨が音を遮断して、空間を遮断してしまう。
自分のサイトに一人でいると、向かいの友人たちのサイトも別世界のように感じる。
暗闇にそれぞれの灯りがぼわっと見えるだけ。
歩いていってタープの下に入ると、温かい灯りの下に温かい火と食事。
その「家」があらわれる。
自分のサイトに戻る。
タープには雨の音が響き、雨のせいで誰かに覗かれる感じはない。
夕方から夜にかけて、外に居続けること自体がまず圧倒的な非日常感があるけれど、雨の下でずっと過ごすことも、大人になった今では珍しい。
タープの外からは雨粒が落ち続けていて、中には雨がない。
雨音のせいで、まわりの音もあまり聞こえない。
ネットや交通手段によって人はグローバルに向かい、世界は「狭く」なっているけど、遮断されたここは「ひとりぼっち」的な面で「狭い」。
外にいるのに、家の中じゃないのに、この世界は小さい。
まわりの世界と断絶して、世界がミニマルになる。
晴れキャンプはまわりと挨拶を交わしたり、声が聞こえたりするから、世界が拡がるイメージがあるけれど、こちらは孤立、遮断。ひとり感。
雨に囲まれた、小さな自分だけの空間で過ごせる。
雨キャンプは、小さい世界。
雨キャンプは、大変だけど、夢中になれる。
※写真は友人家族のサイト