のんびり長居できる場所をください。           沼畑直樹

ホテルに1泊するとして、朝にでかけて、高速にのって渋滞に遭遇。

少し観光しながら、その日の4時ごろにチェックイン。

ご飯を食べて、温泉に入って、就寝して、7時に起きて朝食を食べて、片付けして10時までにチェックアウト。

実に、せわしない。

再び観光名所を目指し、次から次へと、ドライバーは結構疲れる。

わたし的にはいつもの国内旅行スケジュールだけども、よく考えてみると、海外旅行の感じとはだいぶ趣きが違う…。

海外の場合は、レストランで朝食をゆっくり食べていたり、午後にホテルの前のテラスやラウンジでのんびりしていたり。

国内旅行では、そんな時間が少ない。

違いは何かと考えると、1泊か、連泊。その違いなのではないかと思った。

それだけで、旅の豊かさは大きく変わってしまうのだ。

 

 

もし国内旅行でも連泊だったら、朝7時から朝食を食べて、ゆっくりそこで新聞を読んで、珈琲を飲んで、9時くらいまでだらだらとしたい。

観光もそこそこに、ちょっと散歩しても帰ってきて、またラウンジでゆっくりする。テラスだとなおいい。

気がつくと、ホテルの従業員の突き刺さるような視線…なんてことがない。

「飲み終わったら帰って下さい」という視線は、そこに存在しないのだ。

だから、丘の下の小さな村が見えるテラスで、コップの底が見えていたとしても、のんびり佇むことができる。

何もしないで、そこでのんびりする。

ただ夕陽を見て、海辺に佇むとか、ただ車の中で空を見ているとか、テラスで読書をするとか。

そんな時間を思い出すたびに、その場所その場所の風景を思い出せるけれども、せわしなく通り過ぎた場所についてはあまり覚えていない。

のんびりと佇んだ場所は、記憶にしっかり刻まれる。

 

だから、日常生活でもそういった時間を求めて、部屋でただのんびりしたり、キャンプにいったり、公園でピクニックをしたりという時間を大切にして、平日はとある飲食店で朝からのんびり仕事をしたりするけれども、他にどこかでのんびりできるかというと、なかなか見つからない。

時間をたっぷりかけて過ごせる場所というのは実に少ない。

そして、そんなことを考えるたび、思い出すあの出来事がある。

 

10年ほど前。

ある珈琲チェーン店で数名で珈琲を飲んでいた。

途中でメモをとるためにノートをひろげたら、若い従業員が私の横に立ち、こう言った。

「店内でノートを拡げるのはご勘弁ください」

一同、唖然としてしまい、私はすぐには事態が飲み込めなかった。

私達は、打ち合わせをしていただけだ。

どうして彼はそんなことを私達に言ったのか。

 

当時、その珈琲チェーン店では、長居する学生、特に勉強をする学生に苦慮していた。

対抗策として打ち出したのが、「店内でノートを拡げてはいけない」だった。

ノートを拡げるのは駄目だが、読書は、いいらしい。

当然、私達は「打ち合わせですけど」と、その若い従業員に説明した。

しかし、ルール化されているため、従業員は一貫して「すいません」を繰り返した。

今思い出すと不思議な話だけども、当時は珈琲チェーン店は試行錯誤をしていて、長居する客を快く思っていなかった。

私はその前後にも同じような珈琲チェーン店で何度も打ち合わせをしていたので、突然のノート禁止令に対して、正直に驚いた。長居していたわけでもない。

ただ、長居する客に対してそんな対策を講じてまで、客を追い出すようなことに躍起になっているのかと思った。

 

それから10年以上経った。

思い返してみても、あの日以来、同じような経験をしたことはない。

今はあらゆる形態の飲食店で打ち合わせは一般的だし、スタバやドトールといった店で勉強する人が減ったようには思えない。

ずっとPCに向かっている人もいるし、ノマドワーカーも登場したわけで、長い時間を同じお店で過ごそうとする人々の「気持ち」は、10年経っても衰えることはなかった。

お店側はその状態に対する対策を諦めたのか、それとも積極的に受け入れたのか、まだよくわからないが、元々喫茶店は長居が認められていたところだから、ルノワールのような喫茶店は健在だし、新たな長居型珈琲店がいくつも登場していたりする。

一方で、スタバでPCに向かう人を批判する記事も少し前に目にした。

従業員だけでなく、世間の風当たりはまだある。

 

それでも、素晴らしい眺めと珈琲を私は求める。

リラックスして、外の風景を眺めながら美味しい珈琲を飲める場所。

シンプルな内装で、気分もクリアにできる場所。

そんな珈琲店で、朝から昼過ぎまでゆっくりできる場所というのは、10年たった今も実に少ない。

 

これからオリンピックで多くの外国人が東京で過ごすのに、長居できるところの少ないこの街は馴染むのだろうかと考えたけれど、問題なかった。

彼らがホテルに泊まるなら、そこは「時間」がもっとも大切にされている場所だからだ。

 

ホテルのラウンジには、ゆったりと過ごす人々がいる。

新聞、会話、食事やアフタヌーンティーを楽しむ人々がいる。

「どうぞゆっくりと過ごしてください」というメッセージが内装から、従業員から、風景から聞こえてくる。

 

 

ホテルの美学

 

ホテルには基本的に、宿泊客やゲストに対して、「ゆっくりとここで時間を過ごしてほしい」という美学がある。

珈琲と新聞、もしくは本と向き合っている客に、「そろそろ帰ってほしい」という考え方は、どの従業員にも発生しない。

回転率なんて、関係ないのだ。(朝食・昼食ブッフェには残念ながら時間制限がある)

私の考える「豊かな気分」というのは、普段泊まらない東京のホテルにはあるのだ。けれど、日常生活でなかなか見つけにくい。

飲食店やホテルじゃなくてもいい。どこか、のんびり時間を過ごせる場所はないのか。

「ここにずっと座ってていいですよ」という場所。

たとえば、デパート、駅、空港…と、ありそうだが、しっくりこない。

結局、いろいろ考えて、私が仕事で利用している店が一番だと気づいた。

私が利用している店では、従業員の「そろそろ」という視線を一切感じない場所で、朝ご飯とお昼ご飯を注文して何時間もそこでのんびりしたり、仕事したりする。とても貴重な空間で、替えがきかない。

店自体はお洒落ではないけれど、最近、そんなことを考えているので、有り難さを実感している。

 

同じ場所でのんびりできるのは、旅でも重要な要素だ。

観光地巡りに疲れることなく、何もせずに同じ場所でのんびりすること。

バカンスのような過ごし方をするには、連泊しかない。

2日目は観光で忙しく動くことなく、本を読んだり、エクササイズしたり、飲み物を飲んで過ごす。

別荘を持っている人はまさにそんな過ごし方をできるけれど、庶民としては、ホテルに1泊が普通だ。

私も述べた通り国内旅行で連泊はほとんどしたことがなく、連泊は仕事ばかりで、プライベートな旅行では1泊ばかりなのだ。

ロケーションの素晴らしい場所でのんびりと時間を無駄にする。

それがとにかく楽しいのに。

 

その代わりといってはなんだけど、休日には朝から昼すぎまで公園に椅子や敷物を敷いて、よくのんびりしている。

遠出にこだわらず、近隣の公園の木陰でサンドウィッチでも食べて時間を過ごす。

キャンプの場合は1泊が基本だけども、レイトチェックアウトができるところはそうしている。今年もレイトチェックアウトが基本のオートキャンプ場を友人が見つけてくれたので楽しみだ。

 

「のんびり過ごす」ことを考えると、気持ちが良い。

晴れた日のベランダの夕方を考えると、気持ちがすっとする。

海辺に落ちる夕陽を眺めている時間を思い出してもそう。

ゆったりとした時間を与えてくれる海外旅行も、やはり素晴らしい。

今日の夕方は公園で過ごそうかな、と思ったけれど、天気予報は雨。

カーテン閉めずに、雨を眺めながら、のんびり気分を味わいたい。

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この記事を書いた人

『最小限主義。』、写真集『ジヴェリ』『パールロード』他(Rem York Maash Haas名義)、旅ガイド『スロウリィクロアチア』他

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