iPhone5とiPhone6、iPhone7で考える喜び
佐々木典士

iPhone6が明日予約開始になる。

 

正直に言って心待ちにしていた。   手元には2年前に契約したiPhone5がある。 iPhone6が発表になってから、なぜか魅力が急にくすんだように思う。

 

iPhone5はぼくにとっての初めてのスマートフォンだった。 高品質なカメラ、Googleマップ、LTEの速度の快適さ、所有欲をくすぐるデザイン。

 

手に入れたときの喜びをあえて数字で表現するなら「100」だっただろう。 iPhone5は予約開始日に少し待って手に入れた。

 

LTEも搭載され、ディスプレイも大きくなった。 何一つ欠けていないほぼ完璧なもの。 何より「比べるもの」がない「最新」のものは 「100」の喜びを与えてくれた。

 

でも、ひとは刺激に慣れていく。 感動は次第に当たり前のものになっていく。 iPhone6の発表前、iPhone5を所有している喜びは、当たり前のものとしての「50」。

 

iPhone6の発表後は、乗り越えられる古いものとしての「20」ぐらいだろうか。

 

なぜ「50」のものが「20」に減ったのだろう。   それは、「比べるもの」ができたからだ。 手持ちのiPhone5と間近の未来にあるiPhone6を比べて、 相対的な喜びが減ってしまった。

 

だがiPhone6を手に入れてもせいぜい「80」の喜びかもしれない。 それは「技術の進歩」の程度の問題ではなく、ぼくの「経験」の問題だ。

 

iPhone6は2台目のスマートフォンになる。 スマートフォンへの慣れ。 その慣れは初めてのスマートフォンの「100」の喜びを与えてくれないだろう。

 

3台目になるかもしれないiPhone7を手に入れたら? 喜びはさらに減って「60」になってしまうのだろうか。 手持ちのiPhone6の魅力はまたもや「20」まで下がるのだろうか?

 

いまとなっては、過去のものになったポケベルをせがんで持ったとき。 初めて携帯電話を持ったとき。着メロができたとき。写メが撮れるようになったとき。 それぞれの技術の革新は「100」の喜びを生んだはずだ。   それぞれの時点で「100」の喜びがあったものたちに今はその魅力はもうない。 ぼくたち「経験」によって「比べるもの」ができたからだ。

 

「今の視点」から過去のものたちを見ると、見劣りがするのは当たり前だ。   「100」の喜びを受け取り続けるためには、 「比べるもの」がない革新を起こしつづけるしかない? 「比べるもの」がない最新のものを手に入れ続けるしかない?

 

その方法は、もう通用しない。

 

喜びを感じるために、変えるべきはぼくたちの態度だろう。 刺激に慣れるのは仕方がない。刺激に慣れていくことを自覚すること。 「感謝」すること。今に「満足」すること。「これで充分」だと思えること。「比べない」こと。

 

ミニマリズムが清々しいのは、 「これで充分だ。これ以上、欲しいものはない。」 と思えるようになるからだ。   あれもこれも「もっと」欲しい。 「もっと」から解放されることの喜び。

 

iPhone5はいまでも充分な機能を持っている。 電源ボタンの故障で本体交換されたから、 ほぼ新品でバッテリーも持っている。 喜びを感じさせてくれた2年間に感謝もしよう。

 

実質負担金、割引キャンペーン、優先予約クーポン……

 

うーーーーーーーーーーーーーん ………ずるい。

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※「いつか」売るときのために。誰かにあげる「かも」しれないから。 そう思って取っておいたiPhone5の箱はもう捨てた。

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この記事を書いた人

作家/編集者。1979年生まれ。香川県出身。『BOMB!』、『STUDIO VOICE』、写真集&書籍編集者を経てフリーに。ミニマリスト本『ぼくたちに、もうモノは必要ない。』は25カ国語に翻訳。習慣本『ぼくたちは習慣で、できている。』(ワニブックス刊)は12ヶ国語へ翻訳。