花のある生活
佐々木典士

花をもらった。

 

講演のあとに花束をもらったりすることはあったけど、花瓶もないので誰かにお譲りすることが多かった。

 

今回この小ぶりな花束をもらったときは、おじさんに花束ということで身の処し方にとまどったのだが、適当にコップに活けてみると、すぐにその魅力を知ることができた。

 

 

まず自分は、よく花の写真は撮っているのでそもそもそれが好きだったようだ。

 

そして写真が好きだということは、もともと存在するものの配置を切り取ったり、構成することが好きだということで、生花にも同じような魅力があると思った。

 

 

しばし、飾りがない部屋のアクセントになってくれて、ちらちら見てしまう。

花の配置を変えて、表情の違いを楽しむこともできる。

しかし、この花をいちばん魅力的にしているのはいつか枯れてしまうということだと思う。随分前に「桜に教わるミニマリズム」という記事も書いたが、こんなに桜が愛されているのは、もっと見たいというところで散ってしまうことにあると思っている。だからこそ、毎年待ち望まれる存在になる。

 

ジョブズは「死は生命の最高の発明」と言った。古いものがいなくなることで、新しいものへの道を作るから。そしてそれこそが進化を推し進めてきたから。

 

 

若い頃は、女性に花をあげたくてもそれがいつしか枯れてなくなってしまう、ということに儚さを感じ、何かずっと残るものをあげたいと思っていた。しかしずっとそばにあるものの魅力は、だんだんわかりにくくなる。

 

 

しばしの間、傍らに留まり楽しませてくれる。

ずっと残らなくてもしばしの間、感情が彩られる。

「ずっと」から「しばし」に価値を感じるようになった。

 

 

そういえば、ミニマリズムの取材を受けていたとき、ある女性が「図書館で借りた本は返すことが決まっているからこそ、真剣に読むようになる」と言っていた。確かに、手元にあっていつでも参照できると思うより、そちらのほうが丁寧に読めるかもしれない。花も同じで、枯れるからこそよく見つめるのかもしれない。

 

 

女性は花をもらうと嬉しい。と頭では理解していたので贈ることはあった。

その魅力がわかったので、これからは心の底から贈りたいと思えそうだ。

おじさんにだって、花を贈れば喜んでもらえるかもしれない。

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この記事を書いた人

作家/編集者。1979年生まれ。香川県出身。『BOMB!』、『STUDIO VOICE』、写真集&書籍編集者を経てフリーに。ミニマリスト本『ぼくたちに、もうモノは必要ない。』は25カ国語に翻訳。習慣本『ぼくたちは習慣で、できている。』(ワニブックス刊)は12ヶ国語へ翻訳。