「自分の限界を試したい」と書いたのは前回だが、クロアチアの旅の中で、できればしっかり現地の人を撮影して、店などを紹介するための取材をしたいと考えていた。
ささやかだが、いつもは仕事が忙しくて出来ないことだ。
今回の撮影は私がカメラマンではなく、私が現地の人々と編集者である佐々木氏のコミュニケーションを仲介する通訳的な役割だった。 といっても、私はプロの通訳ではないし、いつもやっているようにダイナミックに外国語でのコミュニケーションを荒々しくやるだけだ。
だから、合間を見てサイト『クロアチア空気』 用に取材ができると思っていた。 でも、それは甘い見通しだった。 すべてが、甘かったのだ。
初日の朝。 ホテルの前のビーチには誰も居ない。
ほぼプライベートビーチになっていて、湾の向こうにはスプリトよりも古いギリシアの植民都市ストブレックが見える。
ホテルの部屋からストブレックの眺め。
Hotel Split www.hotelsplit.com
ビーチの入り口のホテル内を歩いていた従業員とドイツ車と日本車の話をして(新型デミオを買ったばかりで、クロアチアの「マズダ」の存在が気になった)、朝食を食べる。 彼も、朝食のレストランでも当然英語は普通に通じる。
それが自分の知っているクロアチアだ。
いつもは、ドライバーさんがプランを把握している。
どこでガイドさんと会うのか、どこに連れて行くのか。 プランの変更があっても、英語が通じるので問題ない。
昨日、空港からホテルに送ってくれたドライバーも英語は問題なかった。 今回はプランがギリギリまで調整がつかず、佐々木氏のリクエストを基に作られた正式な現地の時間割が完成したのが、現地到着後だった。
それでも、ドライバーが内容を知っていれば大抵は問題ない。いつもそうだった。 朝食を終え、チェックアウトを終え、ホテル前でドライバーを待つ。
時間通りに車は来た。 大量の荷物・機材を積み、スプリトの旧市街へ向かう。 どこで気づいたのか。今ではわからない。
これからの長い旅を付き合ってもらうドライバーの彼、イヴァンは、英語が話せなかった。 最初は、それほど問題になると思っていなかった。 英語が苦手な人はたくさんいる。 それでも、結局はコミュニケーションはとれる。
英語は世界の共通語であり、数字や簡単な単語なら誰でもわかる。
かつてまったく通じなかったのは、ポーランドの国境沿いの村に電話で取材依頼をしたときだ。 電話だからジェスチャーもできないが、「何月何日にそこに行く」ということを、「go」という言葉を使って伝えられた。
だから、どんなに相手が英語ができなくても、目の前にいるなら問題ないと私は思っていた。
イヴァンがどれだけ英語を理解できないのか。
スプリトに着いてもまだそれは未知数だった。 だが、たしかガイドさんに通訳してもらったことを覚えている。
「ここで待っていてくれ」 みたいなことだっただろうか。 おそらく、その時点で「ここで待つ」ことも伝えられなかったのだ。 それでもまだ、楽観視していた。 スプリトの撮影を終え、スプリト市内のホテルにチェックイン。
イヴァンと明日の時間を確認したいが、どうもやはり英語が通じないことに焦りを感じてきた。 何を言っても、クロアチア語で返してくる。
こちらはクロアチア語はわからないのだが、一切英語での返答がない。 紙を見せて指で時間を示すと、 「スートラ!」 と大きい声で返してくる。
どういう意味だろう??となり、グーグル翻訳で適当にワードを入れると、それが「明日」を意味する「Sutra」という単語だということがわかった。
どうして彼はクロアチア語で返してくるのだろう。 自分の言っていることが通じているのか、結局よくわからない…。 その後、ホテルのデラックスルームを撮影で使えるかどうか一人チェックしていると、日が落ち始めていてスプリトの美しい山並みが染まっていた。 風景を眺めていると、これからの数日間、フェリーで島に行くという予定が、とてもスリリングなものに思えてきた。
ATRIUM – HOTEL GRUPA d.o.o. | Ulica Domovinskog rata 49 http://www.hotel-atrium.hr
撮影二日目フヴァル島
イヴァンは予定通り迎えに来た。 港に着いてから衣装を忘れていたことに気づき、急遽ホテルに戻るというハプニングがあったものの、港のスタッフを通じて通訳してもらい、イヴァンはしっかり仕事をこなしてくれた。
問題ない、問題ない。万事上手くいっている…と自分に言い聞かせる。
フヴァル島ではまず、ガイドさんに会う予定だった。 最初にフェリーはスターリグラドという小さな港町に着くので、佐々木氏も自分もそこでガイドさんと会うものだと思っていた。 また、今日行く予定の場所は、ホテルのフロントさんを通じてイヴァンに伝えてある。
出航したばかりのフェリーから見たスプリトの街並み
船はアドリア海を進み、無事フヴァル島に着く。
ここは、以前に訪れたコルチュラ島にも近い、小さな島だ。 港からすぐの場所にスターリグラドはある。 車は予想通り、スターリグラドのある東方面に走り出した。 佐々木さんはiPhoneのGPSで場所をチェックしている。
なので、途中で気づいた。 「スターリグラドは左ですけど、曲がらないんですかね」 地図を見せてイヴァンに確認する。 するとイヴァンは、ずっと東にあるイェルサを指さして、大きな声で 「イェルサ!」と叫ぶ。
記憶では、それ以外の言葉は聞いていない。
「ガイド!」という俺の言葉は、通じてたのかどうかわからなかった。 何を言っても、元気に「イェルサー!」と叫ぶのだ。 オーマイガッ! 車はイェルサに着いた。 晴れ。 みんな車から降りて、準備している。
イヴァンが歩き出したので、付いていく。 小さな町で、目抜き通りは一つしかないようだった。 イヴァンはうろうろ誰かを探すような感じだが、何か迷っているようでもある。 待ち合わせの時間までまだ少しあるが、彼は何をやっているのだろうか…。
しばらくイヴァンに付いてまわったが、スタッフを待たせるわけにもいかないので、イヴァンに何か聞いたが、やはり通じない。 そばに立っていたおばさんに事情を説明して通訳してもらった。 おばちゃんとイヴァンは激しくクロアチア語で会話を始めた。 「○時にガイドさんと会う予定なんだけど」とおばさんに言うと、イヴァンは何か言ってから電話をかけはじめた。
ワーワーとイヴァンは電話でまくしたてる。 最終的に、「フヴァル(という町)に向かう」となった。 何が起きているのかわけがわからない。 時間はない。フヴァルは島の一番西にある。 車はスピードをあげて、今日訪れる予定のビーチ2箇所を通り過ぎる。 フヴァルに着いて、時間がないので撮影を始める。 自分はイヴァンと一緒に、観光案内所に向かう。 そこで待っていると、ガイドの二人が来た。 当然英語は通じる。
ガイドさんは町を案内してくれる予定だったが、時間がなくなってしまったことを詫びて、ガイドさん抜きで撮影を続けさせてもらうことになった。 彼らは快くそれを受け入れてくれて、いろいろサポートの相談にも乗ってくれた。 これから行く予定の二つのスポットについて、地図を見せてイヴァンに詳しく説明してくれた。 ガイドの二人が去り、イヴァンと受付の女性と3人になった。 受付の女性に、「どうして最初にイェルサに行ったのかイヴァンに聞いてほしい」とお願いした。
答えは、「勘違いしていた」だった。
美しいフヴァルの街でランチをとって、気持ちは少し落ち着いた。 ガイドさんがイヴァンにしっかり予定をインプットしてくれたので、午後は大丈夫だろう。 ランチを終え、車は指定した二つのビーチに向かう。 しかし、イヴァンはなぜかその手前の町に向かおうとして右折しようとする。
さすがに怒り気味にジェスチャーでさえぎった。 前を指さして、「GO!」。 どうしてなんだイヴァン…。 車は最初のビーチの手間にたどり着く。 道のある高台から細いダートを下りなくてはならない。 右は柵のない崖で、私は右側の助手席だったから怖くて仕方がなかった。 そして、それはスタッフも同じだった。
ゴトゴトと崖ギリギリで揺れる車。 あまりに危険なので、途中でみんなを下ろすことになった。 スタッフが「Stop!」等声をかけるが、イヴァンはまた進もうとしたりしてパニック状態になる。 「Wait」等の言葉も通じないのだ。
島を出る直前に撮影したスターリグラドは路地が素敵だった。
撮影3日目 スプリトのホテルで
いろいろあったが、無事に車はビーチに到着し、撮影も終えてスプリトに戻った。 3日目は午前中がホテルでの撮影で、午後が佐々木氏が自ら選んだアンティーク・ホテル「Palace Judita Heritage」での撮影。
イヴァンは予定も行き先も知っているというので、ホテルまではイヴァンに任せた。 車は、スプリトの駐車場に止まる。 そうか、ここから歩いていくのか…と思い、イヴァンと「行こう」とジェスチャーすると、「いかない」的なジェスチャーをする。 ここで待っているというのだ。
「でもホテルまで連れていってくれないと、場所がわからないよ」的なことを言いたいのだが、通じない。 なぜホテルまで連れて行ってくれないんだイヴァン! と叫びそうになる。 仕方がないので現地の人にだいたいの場所を聞いて、佐々木さんのGPS頼りになんとかたどり着いた。 この時点でイヴァンには多少の怒りを感じていたが、Juditaホテルのメアリーさんがとても優しく迎えてくれたのと、ホテルが素晴らしかったので癒やされた。
Palace Judita Heritage Hotel http://juditapalace.com
午後3時過ぎ。 佐々木氏とマネージャーT氏と私の三人で、スプリトの北方Mihoviloviciにある小さな村ZAGORAに行った。
ここは、ダルマチア地方の伝統的な村を再現したもので、当時の人々の暮らしたままの室内や、パン焼きの光景を見学できる。 すでに疲れ切っていた三人は、特に期待するわけでもなく、そこで美しく小さな街並みを眺めていた。
そして、いつものことだが、衝撃を受ける。 昔のリビングダイニングを再現した場所で、ここで作られているエキストラ・ヴァージン・オリーブオイルのテイスティングがある。 これが面白かった。 オイルの入った瓶を手で温め、香りを嗅いで口に流し込む。 息をすーっと吸い込むと、喉に直接オイルが来て「かーっ」となる。 その瞬間、チーズやアドリア海の塩、スライスされたいちじくのケーキ(いわゆるケーキではない)を食べる。 疲れた体に、それが凄まじくうまかった。
さらに、地元の赤と白のワイン。 おみやげを買うつもりがまったくなかった三人は、大量におみやげを購入した。 日本に帰って同じことを再現したいからだ。
stella MEDITERANEA(CROATICA) www.stella-croatica.ht
撮影4日目 再び島へ ブラチ島
旅はこの日ブラチ島を最後にスプリトを離れる。 ブラチ島から帰るとそのまま車はプリトヴィツェという国立公園に向かい、そこでイヴァンと別れる。 その後は別のドライバーに替わり、ザグレブへ向かうのだ。
だから、今日でイヴァンとはお別れ。 ブラチへ向かうフェリーは、なぜかフヴァル行きと違って空いていた。 外に出ると、佐々木氏が一人で外を眺めている。 彼は元スタジオ・ボイスの編集者だ。 そして私は、18才19才ごろ、あの雑誌の信者だった。 あの雑誌で人生を探究していた。
佐々木さんはそのころの編集者ではないが、彼が一人で立っていると、やはりボイスの話をしたくなる。
「一人で立っていると、旅感が出るね。ブラチに一人で向かっていると想像すると、冒険心を感じる」 ミニマル&イズムを一緒にやっている佐々木氏は、そういう話がすぐわかる。
前回書いた冒険的ミニマリズムで言いたかったのは、「一人旅は人間関係のミニマリズム」ということだったが、ボイスがあの頃提示していたのは、当時の編集者が意識していなかったかもしれないにしろ、そういうことだ。 だから惹かれたのだ。
バイクで大陸を走り抜け、山に挑み海に挑み、遠く離れたフロンティアに旅をする。 結局のところ、人を撮影することも店を取材することもできていないが、「冒険心」というテーマはそうして感じることができた。 一人で動けばいいのだ。
自分だけが感じて、他人と共有しないもの。 それをどれだけ感じることができるか。 あくまでプライベートな感覚なのだ。 そのとき、ボイスで憧れた、あの旅感が蘇ってくる。 島では、ボルという海沿いの美しい町の美しいレストランのテラスでランチをした。 目の前にはイヴァンが座っていた。
実はこの日までに、「イデモ(let’s go)」「ミ・チェモ・イチ〜(We will go)」など、車に関する言葉は覚えて、使っていた。 右(デズノ)と左(リエボ)も覚えたが、イヴァンはなぜかデズノで左を指し、リエボで右を指す。 ホテルの人に訊いたら、やはり右はデズノだった。不思議。
テーブルで注文が終わると、カメラマンのAさんがクロアチアの観光本を読んでいた。 その最後のほうに、クロアチア語の簡単な辞書がある。 そこに、「どこそこにいってほしい」「そこで止まってください」といった、この旅で使いたかった言葉がいっぱい載っている。 試しにイヴァンに使ってみたら、全部通じた。
なんだ、最初からこれを使えば良かった…。 と皆で思う。 自分も、クロアチア語を使えば良かっただけなのだと、反省した。 英語にこだわった、自分が愚かに思え、イヴァンに申し訳なく思った。 そのイヴァンが、プリトヴィツェまでの長い道のりをドライブする。 日は暮れはじめ、遠くの湖畔(湾)に小さな家並みが見える。 美しい。
美しかったので、夕陽に映るイヴァンもiPhoneで撮った。 プリトヴィツェのホテルに着いたのは夜8時。 そこからイヴァンはスプリトに帰るという。 イヴァンありがとう。
最終日ザグレブにて
プリトヴィツェの一泊を経て、ザグレブへ。 街のど真ん中にあるホテル・ドブロブニクに3時ごろに着き、自由時間。 翌日は10時30分からスタートで、朝は余裕があった。 私は一人、近くのカフェで時間を潰した。 カフェの店員とだらだらと話ながら過ごした。 それでも時間が余っている。
なんとなく、西に向かって歩き出した。 しばらく歩くと、6年前の撮影で止まったデザイン・ホテルに行きたくなった。 距離はあるが、行けないことはない。 坂をのぼる。以前に行ったカツレツの店がある。 坂をのぼる。 まだホテルは見えない。 もう潰れたのだろうか。 歩く。 あった。
私はその小さなホテルに入る。 この時間に来客は珍しいので、オーナーらしき人も驚いている。 「カフェでコーヒーを」と伝えると、快く案内してくれた。 エスプレッソを注文したあとに事情を伝えると、サーブしてくれた女性が手作りのケーキをサービスしてくれた。 坂道を急いで登ったので、まだ心臓がバクバクしている。 でも、一人でエスプレッソを飲む、この朝の時間が最高だった。 これこそ、自分にしかわからない、自分にしか価値のない時間だと実感できたからだ。
このホテルで6年前、早朝に撮影する予定だったが、オーナーがうるさいので駄目だと言い出した。 しかし撮影は必要なので、長い交渉を経て静かに撮影することになった。 帰り際、そのときの騒ぎを謝った。 オーナーは覚えていたようで、笑顔で許してくれた。 急いでホテル・ドブロブニクに戻ろう。
その日、他の人たちもプライベートな時間を楽しんでいた。 スタイリストのB氏は、朝に一人大聖堂に行った。 祈る人々を見て、不覚にも涙を流したという。 マネージャーのC氏は、一人でふらっと出かけてしまう。 元々、旅先ではアドベンチャー気味になるらしい。そして彼は、クロアチアを酷く気に入っている。 佐々木氏は朝だけでなく、その日の夜も一人、街をさまよって写真を撮っていた。
日本から遠く離れた異国の地で、一人で佇むこと。 それが今回のテーマとなった。 昔は一人で旅することが多かったが、最近はめっきり一人旅がなくなって、その感覚を忘れていたようだ。
家族もいて、仕事もあり、一人旅の機会はなかなかない。 それでもクロアチアのどこかで、一人になれた。 そして、旅のピンチとドキドキ感、スリルは、イヴァンがもたらしてくれた。 きっと彼とのドタバタが、あのプリトヴィツェまでのドライブを美しくしてくれたのだろう。 一人、個人、自分だけの、パーソナルな、感情と冒険心。 すべては極パーソナルな、自分だけの体験だったのだ。
街のど真ん中なので本当に便利。朝食は窓際で食べると広場を行き交う人を眺めてるだけで楽しい。 hotel Dubrovnik http://hotel-dubrovnik.hr