モノを社員として考える
佐々木典士

自分を会社、モノを社員として考えてみる。

 

モノを買うということは基本的に、生涯賃金を支払って自分の会社に来てもらうということ。最初に賃金の全額を支払う、だがそのモノがどれぐらい働いてくれるかはよくわからない。

 

 

モノの時給は、働き者であるほど下がっていく。うちで言えば、文章を書くだけでなく、映画を見たり、音楽を聴いたりすべてをこなしてくれるMacBook Airがエースだと思う。時給は生涯賃金に対する割合でダントツで低い。

 

生涯賃金はそれなりに高額だが、毎日数時間、すでに何年も使っているので、時給換算すると数円ではないだろうか。スマホや、Kindleあたりも相当な働きものと言える。

 

 

一方でDIY工具である丸ノコさん。5万円で買ったが、おそらくまだ2時間もつかっていないので、時給は25,000円。こうなってくると、考えどきかもしれない。もしかすると丸ノコさんの切れ味が鋭すぎ(生産性が高すぎ)なので、働いている時間が短いだけかもしれない。

 

 

本質的に短時間労働で出番の少ないモノは、ひとつの会社に終身雇用というスタイルではなく、複数の会社で共有させてもらう、フリーランスのスタイルがいいようだ。

 

 

華やかな場面で着るドレスなど、どうしても時給が高くなってしまうものもあるだろう。高額だがどうしても働いてもらわなければいけないモノ。ゴルゴ13のような社員もたまにはいる。

 

 

100円ショップで買った一見安いものでも、一度も出社してくれなければ時給は100円のままで割高だと言える。

 

 

モノの価値を高い安いかではなく、どれぐらい自分という会社で働いていてくれるか、を基準に考えてみると少し目線が変わる。

 

 

ブラック企業のように振る舞わず、適時ケアもする。長く貢献してくれているモノをみると、お疲れさま、と一声かけたくなる。定年を迎える頃には、退職金だって持たせたくなるかもしれない。

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この記事を書いた人

作家/編集者。1979年生まれ。香川県出身。『BOMB!』、『STUDIO VOICE』、写真集&書籍編集者を経てフリーに。ミニマリスト本『ぼくたちに、もうモノは必要ない。』は25カ国語に翻訳。習慣本『ぼくたちは習慣で、できている。』(ワニブックス刊)は12ヶ国語へ翻訳。