真っ黒な部屋の窓から、オレンジとも青とも説明がつかない美しい薄明の空が見えた。
すべての建物や木々がシルエットとなって、陽が沈んだあとの西の空が薄く赤く染まる現象。
10月12日の今日、雲ひとつない西空に、見事な薄明時が訪れた。
でも、これが部屋から見えるのは、電気を消していたからだ。
私は寸前までベランダで本を読んでいて、部屋はいつのまにか暗くなっていた。
不思議なものだ。
外にずっといると、空がだんだん暗くなっても本を読み続けられる。
空が薄明になったのにも気づいているが、自分のまわりが暗くなった感じはまだしない。
でも、部屋に入ると真っ暗だ。
ということは、部屋にずっといると、もっと前に電気のスイッチをかちっとやることになる。
すると、たいていはカーテンをしめるだろうし、閉めなくても、瞳孔は絞られて外の薄明には気づかない。
ただの暗い空があるだけだ。
私は、部屋から眺める夕空があまりに美しかったので、しばらく部屋の電気を消したままでいた。
道の街灯が部屋にさしこんで、慣れてくるとそれほど暗くもない。
寝室ではまだ娘が寝ているので、ちょうどいい。
事情があって寝室のドアを開けていたので、なおさらいい。
暗闇に佇んでいると、不思議とミニマリズムの感覚がやってくる。
雰囲気的には真夜中で、家族三人でこんな過ごし方をするわけにはいかない。
薄明もすぐに消えた。
私は前の日に本棚の本を減らそうとじっと本の列を眺めていたせいで、めまいがするほど目を疲れさせてしまった。
だから、今日の朝から公園に行ってずっと空を見ていた。
おかげで随分回復したが、この闇目も回復にはずいぶんいい。
そんなふうに過ごしてると、娘の起きる声がきこえ、妻から「今から帰る」と電話が来た。
さすがに暗闇のままではいけないので、壁にあてるフロアライトを一灯だけ、つけた。
18時からこの暗さでは、明るい家庭の雰囲気はないけれど、静寂感と暗さは、ぞくっとするほどいい。
でも当然、妻は何も言わず、別の灯りのスイッチをひとつ、かちっとやった。
娘と妻は、10分も経たないうちに、友人たちとの食事に出かけた。
私は妻がつけた電気のスイッチをもう一度かちっとやって、フロアライト一灯の暗い部屋で、このブログを書いている。
外からは鈴虫の音。
あまりに静かで暗い、19時の夜だ。