キャリアを振り返らないミニマリズム
沼畑直樹

 

「昔の歌詞なんて何も思い出せない。すぐに出てくるのは『島唄』くらいなんだ」と佐藤剛さんは言った。

音楽プロデューサーとして多くの作品を生んできたにもかかわらず、過去は振り返らない。

今は月に十数本の音楽コラムや連載を抱え、資料の本を読むことで忙しい。

大事なのは今。

1月8日、『最小限主義。』を持って、佐藤剛さんの事務所を訪れた。

剛さんは音楽プロデューサー・作家で、私とは8年ほど前から、宮沢和史オフィシャルサイトのリニューアルや、由紀さおりサイトの起ち上げなどで仕事をご一緒させていただいた。

ただ、それとは別に、「アワライ」という音楽プロジェクトを通じて多くの時間を剛さんとの語らいで過ごしてきた。

アワライとは、「もっと日常に『歌う』という行為があっていいのではないか」という疑問を音楽業界にいた剛さんにぶつけて、起ち上げたプロジェクト。

歌がうまい、下手という評価や、カラオケのようなキーをあわせるといったものではなく、もっと自由に歌をうたうというコンセプトだ。

アワライの活動を活発にしていたころに完成した南青山の事務所には、壁一面に歌謡曲やロック、映画を中心とした書籍がびっしりと並んでいる。

だから、剛さんはモノにおいてミニマリストというわけではない。

だけども、話を聞いていると、剛さんはミニマリストだと思った。

なにをミニマル化しているのかというと、キャリアだ。

今までのキャリアを、捨てている。

ライブハウス新宿ロフトの40周年企画で、剛さんのところへ連絡が来た。

「あの矢沢永吉さんの対談はどうして生まれたのですか?」と。

剛さんは20代前半のころ、新宿ロフト起ち上げとともに始まった「ルーフトップ」というフリーペーパーの編集をしていた。

40周年の写真集を作るので、当時の特集記事についての取材だったわけだが、そういう問いかけがなければ思い出すこともないという。

去年の夏に亡くなった相倉久人氏と矢沢永吉の記事。どんな感じだったのだろう。(それについての記事はおそらくルーフトップに掲載されるのでお楽しみに)

かつては甲斐バンドのプロデューサーでもあり、THE BOOMのプロデューサーでもあり、他にも多くのミュージシャンを育ててきたわけだけども、そういったことを細かく私に話すことはない。

ときどき、奇妙に私の趣味と剛さんの仕事が合致したときだけ、昔の話を聞くことがある。

たとえば、きとうけいごというミュージシャンの話。

漢字で書くと、鬼頭径五。

先日、佐々木さんの紹介で『減速して自由に生きる』の著者である髙坂勝さんに会いにいった。

音楽の話になったとき、どういう経緯だかわからないが、鬼頭径五の話になった。

私が中学生のころに、彼の『Train』というMVを見て衝撃を受けたのだけども、あまり彼を知っている人はいないから、髙坂さんが知っているというだけで私は相当うれしかった。

https://youtu.be/mh4DCtirWf4  ※2分27秒あたりに剛さんが登場

 

私にとっては、一回だけ深夜のテレビで紹介された貴重なMVで、録画したそれを個人的に何度も見返していたわけで、当時の友人も誰もその歌のことを知らないし、大人になって彼の話で盛り上がることなんてない。ただ、隠れた名曲がそこにあったというだけだ。

数年前、剛さんになぜか、私はその名前を出した。

きとうけいご。

そして、『Train』という歌。

剛さんは答えた。

「そのPVは俺が彼と作ったやつだよ」

当時、鬼頭径五は剛さんの音楽事務所であるファイブディーに所属していたのだ。

まさか…と私は思った。

『最小限主義。』を剛さんに手渡したあと、「そういえば、前はなかったのに、『Train』がYoutubeにアップされていましたよ」と私は言った。

「ああ、ほんとに? いい歌だったなぁ」と剛さんは言いつつも、どんな歌詞だったかどころか、曲調もメロディさえも、すぐには思い出せないという。

「とくに昔の歌詞なんて何も思い出せない。すぐに出てくるのは『島唄』くらいなんだよ」

剛さんは、「今自分が必死に、埋もれている音楽の物語を書いて残さないと」という思いがある。

だから、私よりずっと年上なのに、私よりもずっと一生懸命に今を生きている。

そして、「過去は振り返らない」となる。

キャリアのミニマリズムだ。人はキャリアを誇りたがるのに。

 

 

髙坂さんと出会った日に戻る。

彼は、ギターで『満月の夕』を歌ってくれた。

私の大好きな曲でもある。

この曲には、ソウルフラワーモノノケサミットバージョンと、ヒートウェイブバージョンの二つがある。

髙坂さんが歌ったのは、ヒートウェイブバージョン。

私はソウルフラワーのファンなのでずっとそちらに親しんでいたが、今はヒートウェイブバージョンも好きだ。

そういえば、剛さんと出会ったころ、夜の下北を二人で歩いていて、剛さんが向こうから歩いてくる男性に「久しぶり」と声をかけた。

それがヒートウェイブのボーカルである山口さんだった。

そのとき、剛さんが昔、ヒートウェイブのプロデュースもやったという話を聞いた。

だけども、それ以上の話は聞いたことがなかった。

今日、剛さんの事務所を出て、ふとヒートウェイブと剛さんの関係を聞きたくなって、出たばかりなのにすぐ電話をかけた。

「剛さんとヒートウェイブは、どういう関係だったのでしょうか?」

心には、まさか『満月の夕』とかかわりがあるのではないかという、期待のようなものもあった。

「うちの所属アーティストだったよ。プロデューサーとして3枚、一緒に作って出した」と剛さんは言う。

「それはもしかして、『満月の夕』のころですか?」

「そうだね。いや、その次の年からかな。『満月の夕』は特別な歌だからと、普段のライブでは歌わなかった。でも名曲だと思っていたから『歌ったほうがいい』と言ったよ」

剛さんとは長い付き合いになるが、そんなこと、『満月と夕』と剛さんとの関わりなんて、一切知らなかった。

私のまわりには、あの曲のファンがたくさんいる。

明日からみんなに伝えなくては。

 

 

 

鬼頭径五さんのPVについて、監督だった東良美季さんのブログもどうぞ

http://jogjob.exblog.jp/23129968/

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この記事を書いた人

『最小限主義。』、写真集『ジヴェリ』『パールロード』他(Rem York Maash Haas名義)、旅ガイド『スロウリィクロアチア』他

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