「自分補正」のミニマリズム
佐々木典士

自分については少々甘めに、他人についてはちょっぴり厳しく見てしまう。
そんなことを表現する秀逸な比喩を読んだ。

「薄暗い体育館でバスケットボールのシュートを外した人を見れば、その人の腕が悪いと言う。自分がシュートを外せば、体育館が薄暗かったと言う」

成功すれば自分の手柄。失敗すれば環境や他人のせい。
どうしても自分目線の「自分補正」がかかってしまう。

アルノー・デプレシャンの映画『あの頃エッフェル塔で』を見ていたら、印象的な言葉があった。

「自分に対して、自分を見守る兄のように接する」

甘い自分補正をしすぎることなく、落ち込んでしまうほど厳しくもなく。客観的に優しく厳しい兄のように、自分に接したい。

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この記事を書いた人

作家/編集者。1979年生まれ。香川県出身。『BOMB!』、『STUDIO VOICE』、写真集&書籍編集者を経てフリーに。ミニマリスト本『ぼくたちに、もうモノは必要ない。』は25カ国語に翻訳。習慣本『ぼくたちは習慣で、できている。』(ワニブックス刊)は12ヶ国語へ翻訳。