薄れる「所有」感覚
佐々木典士

メルカリでモノを売ったのは2度だけだが、どちらもあっという間に引き取り手が決まった。

配送にしても、作成されたQRコードを郵便局で見せるだけで、送り先の住所を知ることもなく、代金のやり取りも郵便局ではない。なんという便利さ。メルカリが躍進するのもわかる。

 

 

最近売ったのは買い替えのリュック。2万円で買ったものが1万5,000円で売れた。

使用頻度も少なくキレイな人気のメーカー。変更点もない最新モデルを買おうとすれば、倍の値段がするので買ってくれた方にとっても、メリットがあったと思う。

 

 

このリュックは確か1年半ぐらいは持っていた。こうしてみると「所有していたものを売った」という感覚ではなく「5,000円のレンタル代を払って1年半借りていた」感覚になってくる。

 

 

手数料は多少かかるといっても、メルカリは個人間取引に近く、買ったときの値段と売るときの値段は小さくなっていく。(ちなみに「ぼくモノ」も1,000冊ぐらいメルカリで出ていて、これについてはまたどこかで書こう)

 

 

軽トラの電気自動車もSNSで引き取り手を見つけた。だいぶお得にしたつもりだが、それでも業者に売るのと比べれば値段が倍違う。買う方、売る方、両方にメリットがある。

 

 

これも一定の金額を払って、半年間のレンタカー契約をしていたような感覚だ。この車でペーパードライバーを卒業し、今しかない貴重な過渡期に電気自動車に乗った。買ったのは車ではなく、その勉強代であり、経験だという気がする。

 

 

以前なら、10年15万㎞走った車は廃車にすることが多かっただろう。しかし、今はインターネットでマッチングすることによって「あと半年間だけ車に乗る必要がある」「絶対ぶつけるのでとにかく安い車で練習したい!」というニーズを持つ人に届けることができる。

 

 

必要なときに手にして、不必要になれば手放すことができる。

モノを自分のところで終わらせるのではなく、次の誰かに手渡せる。

今当たり前にある「所有する」という感覚は、将来だいぶ変わっているのではないだろうか?

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この記事を書いた人

作家/編集者。1979年生まれ。香川県出身。『BOMB!』、『STUDIO VOICE』、写真集&書籍編集者を経てフリーに。ミニマリスト本『ぼくたちに、もうモノは必要ない。』は25カ国語に翻訳。習慣本『ぼくたちは習慣で、できている。』(ワニブックス刊)は12ヶ国語へ翻訳。